どうも、坂津です。
夏ですし、ひとつ怪談でもしましょうかね。
※特に恐怖を煽るような書き方もしていませんし、出来事を淡々と綴っているスタイルで特に怖くないと思いますが、それでも怪談が苦手な方はご注意ください。
大学生時代、友人と映画館に行ったんです。
それも普通のじゃありません。
超レトロなやつ。
下宿していた町に、昭和時代の元映画館って建物があって、イベントで一時的に復活させたんですよ。
3日間の期間限定とか、そんな感じです。
私と友人はその3日間、毎日ずっと映画館に通いました。
なぜかって。
初めは、どのくらいお客さんが入るのかを確かめたくて。
その後は、ある疑問を解消するために。
元々その友人がアルバイト先の居酒屋で話を聞き付けたのが始まりでした。
その居酒屋に来たお客さんの中に、町のイベント責任者みたいな人が居て、元映画館でレトロ映画を上映する企画を持ってるけど協力者(有り体に言えば無償労働力、つまりボランティア)が足りなくて難航しているという愚痴をこぼしていたそうで。
そこに、そーゆー話(無償労働)が大好きな友人が割って入り、協力者を掻き集めるからやりましょうってことになったんだとか。
かくして、その『掻き集める』の対象であり、夏休みの暇を持て余していた私は、別に断る理由も見当たらず、そのボランティアにOKを出したのです。
実際にやる仕事と言えば至って単純な『清掃』『片付け』でした。
その作業自体には何の不満もありません。
ただひとつ、当日現地に集まったのが、その友人と私だけという状況には不服の声を上げざるを得ませんでしたが。
他に声を掛けた奴らは帰省だバイトだと言い、全滅だったらしいのです。
とは言え来ない奴らのことで文句を垂れても仕方ありません。
私たちはヤルしか無いのです。
さて、劇場に備え付けの椅子は表面が布製で、積もった埃が全く取れない状態でした。
合皮だったら拭くだけで良かったんでしょうけど、ごく短い毛足とは言え表面に起毛があるような生地で、元々は随分と高級な感じのそれは、今となっては埃を掴んで放さないという想定外の機能を発揮していました。
あまりに埃が取れないので、階段状になっている床にボルトで打ち込まれているその椅子を全て撤去し、パイプ椅子を並べることにしました。
屋内とは言え真夏の日中、しかもエアコンなんて設備は機能していません。
イベント期間中はスポットクーラーをレンタルして稼働させる計画らしかったのですが、なぜもっと前倒しで借りてこなかったのかと憤ったところで無いものは無い。
とにかく暑く、じめっとした劇場内。
1日掛かりで60席ほどの椅子を全て取り外すことができたときには、既に深夜になっていました。
そんなタイミングでひょっこりとイベント責任者の人がアイスを持って来ました。
なぜこの人は手伝わないのかと喉まで出かかって、その言葉を飲み込みました。
一刻も早くアイスを頬張らなければ、すぐに甘い液体に変わってしまうからです。
「最初に二人だけって聞いたときはどうなる事かと思ったけど、すごいね。ほとんどできちゃってるじゃん」
準備期間の初日にこれだけの大作業が終われば、あとは本当に単純な清掃だけです。
もちろん映写室の設定とか機材の整備とかフィルムの調達なんかは、責任者の人がやってくれるので。
「そう言えば、俺たちが作業してるとき、そこの出入り口からこっちを見てるおじいさんが居たんですよ」
友人が言いました。
私もそれは気付いていました。
特に声を掛けるでもなく、じっとこちらを見ているおじいさんが居たのです。
ただ事前に、この映画館のオーナーが作業を見に来るかもしれないから、と聞いていたので、きっとそうだろうと思っていたのです。
「おじいさんはヒドいな。本人に言っちゃダメだよ?オーナーはあれでも50代前半だから」
責任者の人は苦笑を浮かべつつ帰っていきました。
今日はもう適当に切り上げて、施錠はよろしくね、と言いながら。
最後くらいは手伝ってくれても良かったのに。
その後、私と友人は取り外した椅子をロビーの端に積み上げ、その日は撤収しました。
翌日から数日はほぼ掃除のみの軽作業で、特に何の問題もありませんでした。
1日だけ前倒しでスポットクーラーが入ったときは、すごく感動した覚えがあります。
涼しかったなぁ。
さて、こんな苦労を重ねた末のイベントですから、私と友人はこの企画自体がどのくらいの反響を呼ぶのか気になって仕方ありませんでした。
責任者の人は目標として、全60席の80%が1日2回転の3日間と言うことで、延べ288人の来場者を見込んでいました。
ドリンク付きのチケットが500円だったので、目標来場者数を達成すれば14万4千円になる計算でしたが、フィルムを用意したり、チラシやポスター、チケットの印刷などで、利益と呼べるものは全く残らないとのことでした。
逆に、目標人数に達しなければその分だけ赤字という訳です。
まぁその辺の事情は、私たちにとっては知ったこっちゃ無かったんですが。
そして待ちに待ったイベント当日。
予想に反して午前の部も午後の部も満席&立ち見でも良いからというお客さんが来てくださり、初日だけで200人近い来場者でした。
責任者の人もホクホクでしたが、私と友人はそれ以上に達成感と満足感を味わいました。
掃除と片付けしかしていませんが、なんだか『自分たちが作った映画館に人が押し寄せている』という錯覚に陶酔していたのです。
しかし、あまりにも満員御礼だったため、私と友人は劇場内に入ることができず、フィルムを鑑賞することはできませんでした。
でもこんな盛況がイベント期間中ずっと続くとも思えません。
どうせ流すフィルムは同じなので、最終日はお客さんが少なくなるだろうからその時にでも、なんて思いながら午後の部の上映が終わった場内から流れ出てくる人々を眺めていました。
「あっ」
友人が短く声をあげました。
視線の先に目をやると、一つしかない出入り口で渋滞が発生しているロビーの隅に、オーナーの姿がありました。
入っていくのは見ていなかったのですが、どうやら映画を観ていたようです。
こういうとき、身内は我慢して一人でも多くのお客様を中に、と思ってしまう私はちょっとだけムッとしましたが、まぁオーナーですし、好きにすれば良いとも思いました。
「なぁ、オーナーさ、午前の部のときにも中に居たんだよ、たぶん。俺見たもん」
友人が首をかしげながら言いました。
いかにも不思議そうです。
私も狐につままれたような気持ちになりました。
なぜなら、午前の部と午後の部の間には場内の見回り(忘れ物が無いか、ゴミが落ちていないかなどのチェック)をするからです。
見回りの時は確かに場内が無人だったことを、友人と私は二人で確認しています。
そうなるとオーナーは、午前の部の入場と退場、それから午後の部の入場と、3回も私たちの目をかいくぐって場内に入ったことになります。
「さすがに気付くよな」
独り言なのか私に向かって言っているのか分からない友人の言葉に、私は同意を示しました。
イベント期間中の客足を確認したかった私たちは、自らチケットの半券を入り口で切り取る、いわゆる『もぎり』を買って出ていたのです。
つまり全てのお客さんは私たちの前を通過するはずなのです。
しかし、事実として私たちは場内に入るオーナーに気付きませんでした。
そして現にオーナーは建物の中に居たのです。
「出てって無いよな?」
全てのお客さんを吐き出し終わった映画館はとても静かでした。
これからまた館内の見回りをするわけですが、オーナーが出て行ったのを私たちは見ていません。
しかし。
劇場内にもロビーにも、オーナーは居ませんでした。
予想を上回る客数に浮かれていたイベント責任者の人に、映画館とオーナーの家が抜け道とかで繋がってたりしないか聞いてみましたが、そんなことは無いそうです。
そもそもオーナーの自宅はこの町ではなく、車で1時間はかかる場所にあるんだそうで。
今日も来るとは言っていなかったとか。
私たちがオーナーを見たと言うと、他人の空似じゃないの、で片付けられてしまいました。
確かに見回りの時に姿が確認できなかった時点で、私たちの見間違い、もしくは見逃しという可能性しか残っていませんし。
私も友人も、無理やり腑に落としてその日は帰りました。
そして翌日。
この日も予想に反して大盛況でした。
午前の部が始まる30分前には映画館前の道に列ができていました。
予定に無いことでしたが、ジリジリと肌を焼く日差しの中で待たせるのも悪いと思い、入場時間を繰り上げることにしました。
昨日のことがあったので、友人も私もかなり注意深くお客さんを観察しながらもぎりをしました。
やはり、オーナーが私たちの前を通過することはありませんでした。
つまり今、映画館内にオーナーは居ない、はず、なのです。
「え・・・」
思わず声を漏らしたのは友人でしたが、私も喉まで驚嘆が出かかっていました。
午前の部が終わり、映画館から出てくる人の流れのその奥に、オーナーの姿を発見したからです。
さすがに流れに逆らって中に入るわけにはいきませんので、お客さんが出終わるのを待たなければなりません。
目の前を通過するお客さんの体で視界が一瞬だけ遮られる、何度目かのその隙に、オーナーの姿は見えなくなってしまいました。
友人も同じタイミングで見失ったようです。
私たちは最後のお客さんが出るか出ないかくらいのところで場内に駆け込みました。
しかし、昨日と同じくオーナーの姿はどこにも見当たりませんでした。
「絶対におかしいよな」
友人は昼食の幕の内弁当を口に運びながら呟きました。
激しく同感です。
しかし、昨日と同様に、午後の部もそれなりにお客さんが入り、結局のところまた同じような状況になってしまいました。
面と向かってオーナーを確認することはできず、ロビーに居るお客さんとお客さんの隙間からチラッと見えるだけ。
私たちの言葉に、やはり責任者の人は耳を貸してくれませんでした。
昨日と同じく、場内の見回りをして中に誰も居ないことを確認すると、出入り口の扉に鎖を掛け、南京錠で施錠します。
もともと扉自体に付いている鍵が無くなってしまっているらしく、施錠は随分前からこのチェーン式でした。
つまり外から閉めると中から開けることはできないのです。
「これでもし中にオーナーが居たら、出られなくて大変ですよ?」
友人が責任者の人に言います。
「居るわけないだろ?さっき見回りしたじゃないか。さ、明日で最後だから、よろしくね」
施錠した鍵をポケットに仕舞いながら、責任者はそそくさと帰っていきました。
私たちも渋々帰宅します。
鎖を掛けられた扉のガラスの向こうに、オーナーが居るような気がしてなりませんでした。
そして最終日、私と友人は、どんなにお客さんが多くても中に入ろうと決めていました。
ですがそんなに意気込まなくてもお客さんは少なく、前日までの盛況ぶりが嘘のようでした。
元々の目標人数は先の2日間で達成できていたので、責任者の人も特に何も言いませんでした。
私と友人は顔を見合わせ、意を決して劇場内に入りました。
空席が散在している場内でしたが私たちは椅子に座らず、最後列に立っていました。
座っているお客さんの後頭部を一人一人確認するためです。
じっくりと何往復か見ていったのですが、オーナーを見付けることはできませんでした。
こんなことをしていたお陰で映画の内容はさっぱり覚えていません。
ただフィルムが古いせいか、途中で何度も『一瞬映像が途切れて真っ暗』という場面がありました。
時間にすれば1秒にも満たないごくごく短い瞬間なので、特に気になることもない程度でしたが。
さて、午前の部でオーナーを見付けることができず、また今回はロビーにもその姿を確認することができなかった私たち。
そのまま中の見回りをして午後の部の準備をし、昼食のために一旦映画館から出ました。
「これで振り向いてさ、オーナー居たらやべぇよな」
友人が言い、私たちはハハハと乾いた笑いをこぼしながら振り返り、出入り口へ目をやりました。
居ました。
閉めた扉のガラス部分、光が反射してロビーの中が見える面積はすごく狭かったのですが、それでも間違いありません。
ロビーから劇場内へ入る出入り口の扉のあたりに、オーナーは立っていました。
私たちは即座にUターンし、扉を開けて館内へ入りました。
しかしロビーにも場内にも、オーナーの姿はありません。
そこへ。
「君たち、何やってるの? 今日のお昼はちょっと特別だよ。ほら早く早く」
責任者の人が背後から呼びかけます。
「今日は最終日ってことで、オーナーが来られてお昼をご馳走してくれるんだってさ」
責任者の人が言うには、オーナーはイベントの3日間、午前の部と午後の部があるので合計6公演のうち、この最終日の午後の部だけ様子を見に来るんだそうです。
しかし私たちは毎日オーナーの姿を目にしています。
いや、正確には、オーナーであると私たちが勝手に思い込んでいた人を、でした。
昼食の場に現れ、責任者の人に紹介された映画館のオーナーは、見るからにエネルギッシュな中年男性でした。
とてもじゃないですが『おじいさん』なんて呼べない若々しさがあります。
ちょっと豪華な昼食を前に、真オーナーは快活な笑みを浮かべ、責任者の人は頬を緩め、友人と私は黙って俯いていました。
「この子たちがね、オーナーを見たなんて言うんですよ」
責任者の人が真オーナーに言いました。
でも、今となっては私たちが見たのはオーナーではありません。
「いや、違います。オーナーじゃなくて、おじいさんでした」
友人が言いました。
最初はオーナーだと思っていたけど違ったこと。
毎回ロビーから場内への出入り口付近で見掛けること。
映画館への出入りは一度も目撃していないこと。
それら全部を説明しました。
改めて状況を頭の中で整理すると、なんだかちょっと怖くなってきました。
寒気がします。
真夏の日差しのせいで明るさの極みと言っても過言ではないような日中なのに。
「じゃあ、ちょっと私たちも行ってみましょうか」
真オーナーが責任者の人に言いました。
なんというか、ものすごく頼れる大人ってオーラが滲み出ていました。
この人が出馬したら絶対に投票するって感じの人でした。
昼食を終え、午後の部が始まる前に、私たちは映画館に戻りました。
しかし案の定というか、おじいさんの姿はどこにも見当たりません。
すると。
「映写室は確認したかい?」
責任者の人が言いました。
そう言えば、私たちは映写室には行っていません。
と言うか、どこから映写室に行けるのか、私たちは知りませんでした。
映写室へ上がる階段は、びっくりするほど目の前にありました。
ロビーから場内へ入る出入り口のすぐ横の壁にかかっている暗幕をめくると、そこにちょっと狭めのドアがあったのです。
そのドアを見た瞬間、私はこの上の映写室に、あのおじいさんが居ることを確信しました。
どういうことか説明しづらいのですが『鳥肌が立つのと似た感覚が魂に起こる』んです。
心がゾワゾワすると言うか、精神だけ冷蔵庫に入った感じと言うか。
これまで『普通は見えないもの』を見てしまったとき常に感じている感覚を、ドア越しの向こう側の空気に感じ取ったのです。
「居るわ・・・」
無意識に、私は言葉にしてしまいました。
薄々そんな気はしていましたが、やっぱりあのおじいさんはこの世のものでは無い類の人だったようです。
私は映写室に行くのをやめ、ロビーで待つことにしました。
三人の背中を見送ります。
ものの数分で、降りてきました。
友人は青い顔をしています。
しきりに「マジか・・・マジか・・・」と呟いています。
しかし真オーナーは、難しい顔をしてはいるものの、特に怖がっているとかそういう感じではありませんでした。
友人はこのまま午後の部のもぎりをすることは無理そうだったので帰らせました。
責任者の人は「何も見えなかったよ?」と平気な顔をしながら、最後の上映の準備を始めました。
最終日の午後の部は、初日の盛況が嘘のようで、10人そこそこしかお客さんが来ませんでした。
もぎりは私一人でも余裕でした。
「あれはね、私の祖父なんだ」
最低限の片付けを終え、映画館に施錠をしながら、真オーナーが言いました。
私は映写室に行っていないので、状況は聞いただけですが、おじいさんは映写機の真正面に立ってスクリーンを見ていたそうです。
つまり映写機の映像がおじいさんの後頭部に直撃する位置です。
三人が映写室に入ると、一度だけみんなの方に顔を向け、またガラス越しの場内に顔を戻したそうです。
休憩時間で何も映っていないスクリーンを、じっと見つめていたそうです。
「久しぶりにお客さんが入って、喜んでたんじゃないかな」
真オーナーはちょっとだけ寂しそうに言いました。
私はひとつ気付いたことがあったのですが、特に報告するようなことでもないので何も言わず、その場を後にしました。
責任者の人が用意したレトロ映画のフィルムは、内容こそレトロですがフィルム自体は新しいもので、途中で映像が途切れるはずが無いんだそうです。
あの『ほんの一瞬だけ映像が途切れる』現象は、おじいさんの瞬きだったんじゃないかと思うんです。