どうも、坂津です。
随分と騒がれてますね。
ちょっと検索しただけで関連記事が出てくるわ出てくるわ。
めっちゃ叩かれてますね。
間違ったことは言って無いのに。
私たちを取り巻く現状は、古来から延々と続く親の考えが積もり積もって出来ています。
「自分の子には無用な苦労はさせたくない」
「自分の子には楽をさせてやりたい」
「自分の子には・・・」
みんながそう思って、世代が移ってもこの思いは変わらなくて、そして今に至っているんです。
誰しもが当代に不満を持ち、それを次代では少しでも解消できるようにと思い、その考え、行動の集積が社会環境を作るのです。
これは誰にとっても他人事ではありません。
社会を変えるために何か特別なことをした人だけに責任を押し付けるわけにはいかないのです。
私が、あなたが、
さて、件の発言ですが『子供を持たない方が幸せ』という意見を『勝手だ』としています。
つまり『現状の少子化という国難について大局的に考えるならば、どの家庭でも2人以上の子供を作り育て、人口増加に貢献することこそ、ひいては国民全体の幸せに繋がるのに、そうしないのは身勝手だ』という意味ですね。
何一つ間違っていません。
大正解ですよ。
この国に『自分たちのことよりもお国の為に』という価値観が根付いているならば、ね。
むしろ、この発言の背景には、国の為という思想が背景にあるように思えて、私としては好感が持てます。
だってこんなことを言うってことは、私利私欲は捨てて『国の為に』『社会の為に』を第一義とします、って意味ですよね。
与党の幹事長がこの心意気で政治に臨んでいるのですから、なんとも素晴らしいことじゃありませんか。
口先だけで『国民ひとりひとりを尊重し』『個人の価値観を大切に』みたいな耳触りだけ良くて出来もしない綺麗事を
今の国を、社会を、形作っているのは私たちひとりひとりです。
自分がそうだから言えることですが、今の世の中には圧倒的に『当事者意識』が不足しています。
誰も国政に興味など無く、いざ自分に火の粉が飛んできたときだけ政治が悪い、国が悪いと
「じゃあ、あなたは何かしないんですか?」と問われても「いや、自分一人でどうこうできる問題じゃない」と逃げるだけ。
「それは政治家の仕事だ」と押し付けるだけ。
誰かがやってくれるだろ。
わざわざ自分がしなくても。
明日から本気出す。
こういう個人個人の意識が寄り集まって形成されているのが今の社会じゃないですか。
みんな違ってみんな良い。
個性を大事に。
多様性が認められる社会に。
そう言ってきた結果が今の世の中ですよね。
個々の価値観を重視し続けた結果が現状ですよね。
自分の価値観を絶対防衛ラインに仕立て上げて、そこに踏み入る奴を徹底的に攻撃することが許容されると信じている人たち。
その彼らが声高に訴える『国をより良く変えてくれ』という言葉。
その中に見えないカッコが入っていることに、本人たちは気付いていない。
『国をより(私の都合)良く変えてくれ』
誰もが国民。
誰もが当事者。
しかしその意識は皆無。
産まない方が幸せだという意見は確かに身勝手で、自分のことしか考えていない超個人的な理論です。
これは間違いありません。
そのことを指摘する発言に対して『責任ある立場の人が公共の場で言って良い内容じゃない』と叩くこと、それは本当に正しいことなのでしょうか。
私は『産まない方が幸せ』という決断をし、そう生きようと決めていました。
期せずして子供を授かり、それもまた良しと受け入れていますが、それでも『夫婦二人に子供一人』ですから、人口としては減っています。
今のところ、二人目は全く考えていません。
このことに対して、それを『仕方無い』と考えるのは構わないと思っています。
私たちを取り巻く環境や自分の状況、色々なことを
が、しかし。
それを『そう決めるのが当然』『それが個人の自由であり尊重されるべき』『家庭の問題に国が口を出すべきじゃない』なんて思いません。
だって個の重視が行きつく先は社会機能の破綻でしか有り得ない。
私たちは『個と全のバランス』を上手く保ちながら綱渡りするしか無いのです。
恐らく、旧世代において個が軽視される期間の反動が現状を作っているのだと思います。
思想の自由、発言の自由、そういった『今は当たり前の自由』が無かったときから、私たちはソレを求めて奮闘し、そしてようやくソレを手に入れました。
しかしそのために費やした運動エネルギーによって加速した『全⇒個』の動きはちょうど良いところで止まらず、ずいぶんと個に寄ったところに来てしまっています。
ここで行き過ぎると、またいつか『個⇒全』の運動が起こった時の反動が大きくなってしまいます。
変則的なカーリングのようなものですかね。
私たちの社会は、両サイドから
本来はちょうど中間地点に置ければいいと分かりつつ、ついつい強い力で押し放ってしまうもんだから、対極まで滑って行ってしまうのです。
ちょうど良い場所を見極めるのはものすごく難しいことでしょうし、もし障害があれば弾き出すことも必要でしょう。
進路が確保できていても推進力が足らなければ理想に届きませんし、進むためには摩擦も必要かもしれません。
それでも、『強く投げたら向こうに行き過ぎる』というのは誰にだって分かる簡単な原理原則ですよね。
そうならない為にも、今、過激な『個の甘やかし』は控えるべきだと思うのです。