『かなり』

干支に入れてよ猫

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耳を切り落とす

どうも、坂津です。

最近食べたコンビニのサンドイッチでは、セブンイレブンのアボカド&チキン(ハニーマスタード)が最高に美味しかったです。

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さて。

サンドイッチを作るとき、パンの耳は切り落とすのが一般的です。

家庭で作るときなんかはその耳を揚げて砂糖をまぶしたりするのも楽しみだったりしますよね。

 

ところが。

その切り落とした耳を捨てちゃった場合、なぜか批難される場合があります。

やれ勿体無いとか何だとか言って。

 

以前の記事でも触れたことがあるのですが、その『勿体無い』の境界がどこなのか、非常に気になります。

パンの耳を捨てるのは批難されるべき行動でしょうか?

だって、不要な部分なんですよ?

 

リンゴの皮を捨てるのと同じ。

エビフライの尻尾を捨てるのと同じ。

 

私はリンゴは皮ごと食べますし、エビフライは尻尾まで食べますもん。

 

じゃあ捨てなくて良いように、ハナから耳が付いていないサンドイッチ用のパンを買えば良いじゃない。

 

つまり『自分の代わりに誰かが見えないところで捨ててくれる』方が良いってことですか?

 

 

 

すごく嫌な言い方をしましたが、今の社会って大体そんな感じだなと思います。

誰もが自分で責任を負いたくなくて、ヨゴレ仕事は他の誰かに代行してもらう。

そのことに目を瞑ってるから、まるで自分だけはキレイな存在だと勘違いする。

自分だけはキレイでいて、だからヨゴレた人を叩いても良いと錯覚してしまう。

 

あなたがキレイで居られるのは、誰かが代わりにヨゴレてくれているからでは?

 

私は別に、パンの耳を捨てろとも食べろとも言っているつもりはありません。

ただ、そういう行為を見聞きしたとき、もしそれを良くないと思うのなら、その対象を攻撃するよりも先に、自分を省みてください。

 

学生時代、聖書を扱う講義を選択していました。

ただ聖書への興味の根源はエヴァンゲリオンでしたから、不純すぎる動機と偏り過ぎた視点で読みましたけどね。

で、聖書の一節に『罪の無い者だけが石を投げよ』という内容がありました。

今になって思えば『罪の無い者だけが石を投げよ』というのは『罪の無い者には石を投げる権利がある』という意味では無かったのです。

むしろ『人のふりしてわがふり直せ』の意味が強いのではないでしょうか。

そして『天に向かって唾を吐く』ことにも、繋がるように思います。

ブーメランって、投げてすぐに返ってくるものだけじゃなく、数年後に突如として思わぬ方向から返ってくるものもありますよ。

そのとき自分が投げたそのブーメランをしっかり受け止められるか、はたまた致命傷になってしまうかは分かりません。

ただ、間違いなく後悔はするんじゃないかな。

ナイフみたいに尖って触るものみな傷つけてたりしたら、それはいつか自分に返ってくると思った方が良いです。

 

また『耳のある者は聞きなさい』と書かれた一節もありました。

これは『誰かの言葉を聞きなさい』という意味では無いんでしょうね。

ここで言う『耳』とは、物理的に音を受信する器官としての耳ではなく、自己の内面と対話する『心』という解釈をするのが良いと思います。

そして『聞く』のは自分自身の心の声です。

 

いま私は20年近く前、自ら耳を閉ざしていた自分が周囲に投げまくっていたブーメランの回収作業を行っています。