『かなり』

干支に入れてよ猫

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大人の世界 子供の世界

どうも、坂津です。

私が子供の頃は家の周囲の用水路で、フナやら鯉やらがめっちゃ泳いでいました。

小学生の私が網でザブンとすくうだけで、たくさんの魚が簡単に獲れたものです。 

コンパクト水陸両用網

コンパクト水陸両用網

 

フナ、ハヤ、オタマジャクシ、ザリガニが大半を占めていました。

無限と言って差し支え無いほど獲れるので、すぐにバケツいっぱいに魚が溜まります。

あまりにも獲れるので、各家庭では『獲っても良いけど持って帰っちゃダメ』というルールが制定されたほどです。

 

さて、大人というものは子供の話をあまり真剣に聞かないもので。

そりゃまぁ子供が見ている世界と大人が見ている世界は似て非なるものですから、異世界のことを熱弁されたところで興味も湧かないし理解もできないのは仕方ありません。

しかし困ったことに、大人の世界と子供の世界は部分的に繋がっているのです。

 

例えば、角が取れた丸い石が在ったとします。

河原とかに行けばごろごろ転がってるやつです。

その石自体は、子供の世界にも大人の世界にも同時に存在しています。

つまり、部分的な繋がりです。

しかし石が持つ価値や意味については、それぞれの世界で全く異なるのです。

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私が子供の頃、このファンタジー構造を理解したうえで子供と向き合ってくれる大人はなかなか居ませんでした。

つまり、子供の私が『価値ある』『興味深い』『素晴らしい』と思ったアイテムが、大人から評価されることは稀だったのです。

 

だったのですが、近所にただ一人、私たち子供の話を真剣に聞いてくれるおじさんが居ました。

私たちはそのおじさんのことを『森のおっちゃん』と呼んでいました。

別に森さんという名字だったわけではありません。

おっちゃんの家の庭は鬱蒼とした雑木林みたいになっており、子供の世界からすれば森と表現しても差し支えない規模だったことが由来です。

今思えば庭木が手入れもされず伸び放題だっただけなのですがね。

 

ある日、私はいつものように網を片手に魚を獲りに、用水路へ出かけました。

そこで見たことの無い大変に珍しい魚を発見したのです。

一見すればフナそのもの。

鈍く輝く鉛色のボディにちょっと大きめのウロコ模様が見えるあの感じ。

ですが、そのヒレや尾の形状が全然フナじゃない!

それはまるで金魚のヒレでした。

柔らかなヴェールのように大きくふわりとしたヒレと尾を水中でゆらゆらと靡かせ、優雅に泳ぐその姿は、フナ色の金魚と呼ぶべき光景でした。

私は夢中になってその魚を追いましたが、しかし残念ながら捕獲することはできませんでした。

 

家に帰り、両親にそのことを話しました。

しかしその反応は驚くほど冷めたものでした。

「見間違いじゃないの?」「まぁそーゆーのも居るかもね」「今度は捕まえられるといいね」

今にして考えれば、両親としても最大限の対応をしてくれていたと思います。

しかし当時の私にとっては『なぜこの驚嘆を、仰天を、驚愕を、衝撃を、理解してくれないのか』という気持ちでいっぱいでした。

 

私は話の通じない両親に苛立ちを覚え、森のおっちゃんの家に駆け込みました。

 

するとおっちゃんは興味深そうに私の話をフンフンと聞いてくれました。

その対応はまさに『同じ世界で同じものを見てくれている』という感覚でした。

私の説明を一通り聞いてくれたおっちゃんは、図鑑を取り出して調べてくれました。

淡水魚がたくさん掲載されているページの魚を一匹ずつ確認しながら、二人で「これ?」「ううん、違う」を繰り返しました。

 

そして。

 

森「これかな?」

私「あーっ!!コレ!これだ!」

森「そうか!じゃあ坂津くんが見たのは『鉄魚テツギョ』だな」

私「テツギョ・・・テツギョ・・・」

森「川で魚を獲っててさ、たまに金魚がフナと一緒に泳いでるの、見たことあるだろ?」

私「ある!赤いからすごく目立つんだよ」

森「その金魚と、フナの、赤ちゃんが、テツギョなんだって」

私「マジでか!」

森「おっちゃんも初めて知ったよ~」

私「うおおお!テツギョォォー!!」 

それからしばらく、毎日のようにテツギョ探しをしたのですが、結局のところ捕獲はおろか発見すらできないのでした。

しかし、それでも『テツギョという種類の魚が存在する』ことを調べ、教えてくれたおっちゃんのお陰で、私は自分の目と記憶を疑わずに済んだのです。

 

そしてある日。

母親から「もう森のおっちゃんちに行っちゃダメよ」と言われました。

あれから数年経ち、少し成長していたその頃の私は、その言葉をすんなり受け入れました。

理由はよく分からないけれど、親がこういう雰囲気で禁止令を発動するときは、理由を聞いたところで『ダメったらダメ』としか返って来ないことを知っていたからです。

 

よく考えれば、私たちがおっちゃんと呼んでいたその人は、年齢で言えばたぶん40代くらいだったように思います。

そんな働き盛りの男性が、いつ訪ねて行っても必ず家に居るというのは少し変です。

自営業という感じでもありませんでしたし。

きっと大人の世界から見たおっちゃんと、子供の世界から見たおっちゃんは、まるで別の生き物だったのでしょう。

もしかしたらおっちゃんは、大人の世界から少し、ハミ出ていたのかもしれません。

でも、子供の世界で子供の価値観を共有してくれる大人というのは本当に貴重な存在です。

少なくとも私にとって、森のおっちゃんは、心の支えと言っても過言では無い人でした。

きっと近所の友人たちも同様だったはずです。