『かなり』

雨も嫌がらずに受け入れよう。

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良かれと思ったんだから良いんだよ

どうも、坂津です。

 

私は『良かれと思って』という言葉が好きではありません。

正確に言えば、この言葉を発さなければならない状況が好きではありません。

 

世の中の大抵のことはほとんど誰かの『良かれと思った結果』だろうし、常日頃から敵意や害意を振り撒く人よりも『良かれと思って』行動する人の方が圧倒的に多いと思っています。

誰しもが『良かれと思って』行動しているのです。

それが当たり前なのです。

なのに、わざわざ『良かれと思って』と発言しなくてはいけないのは、その行動が受け入れられなかった場面でのことでしょう。

もっと言えば受け入れられないだけでなく、『攻撃的な拒絶』と表現してもおかしくないような強い反応のときに『良かれと思って』と切り返すのではないでしょうか。

 

息子の部屋を掃除しようとした母親も

彼氏の中華鍋をゴシゴシ洗った彼女も

ヴィンテージジーンズを洗濯した姉も

飼い犬にチョコレートをあげた従兄も

好きな漫画の結末をしゃべった友人も

 

みんなみんな、元は善意なんですよね。

 

秘密を暴いてやろうだとか、油膜を剥がしてやろうだとか、価値を落としてやろうだとか、中毒にしてやろうだとか、ネタバレしてやろうだとか、そんな意地悪な意図は全く無いのです。

 

行為は好意。

全員が善意。

 

それなのに行為を受けた側がいきなり爆発するもんだから、こちとら狼狽しかできません。

 

「いや、その、良かれと思って・・・ごめん」

 

こんな悲しい話があるでしょうか。

相手を気遣った末の行動が全否定されてしまうなんて。

 

ただもちろん『良かれと思ったという事実』が免罪符になるとは思っていません。

どんなプロセスがあろうと、結果的に相手が不利益を被ったり不快な気持になったという事実は変わりませんので。

ただ、その不利益や不快さを声高に叫ぶ前に「本当にそこまで大袈裟に喚き立てるほどのものなのかい?」と自問して欲しいと思います。

「相手は自分のことを思ってしてくれたんだし」と深呼吸してみてください。

 

それでもまだ怒りや悲しみが収まらないなら『これをしちゃいけない』『こうして欲しい』という意思表示を自分が予めしていたかを思い返してみてください。

 

勝手に部屋に入るなと言っていたのか

この鍋は洗わないものだと説明したか

Gパンの洗濯法を伝えたことがあるか

犬にとってチョコが毒だと教えたのか

まだ最後まで読んで無いと言ったのか

 

もしそうでないのなら、貴方は相手に何を求めて怒り狂うのでしょうか。

超能力者のような思考読取能力で至れり尽くして欲しいと思っているのでしょうか。

 

誰かに向って何かを発信する、行動するというのは非常に難しいことです。

決して低いハードルではありません。

それなのに、現在の世間一般では『受け取り手側』が一方的にその言動の価値を決めるようになっています。

 

ちょっと前に流行した『忖度そんたく』って言葉ですが、あれは一方的なものではなくて、お互いに忖度し合わないと成立しない概念だと思います。

 

ちょっと乱暴に言えば

『てめぇが思いやられねーのは、てめぇが思いやってねぇからだろ』

です。

 

なんてことを、以下の記事を拝読して思いました。

www.catlani.com

確かに思いやりを、思いやりのまま相手に届けるのは非常に難しいことです。

思いやりは何らかの言動に変換されて表現されるしかないので、その変換方法によっては、もとになっている思いやりを感じてもらえないことも多々あります。

 

人の行動、その結果に価値を与えることができるのは、それを受けた側だけです。

それは紛れもない事実であり、行動した側が『これは価値ある行動』と押し付けるのは問題です。

しかし、だからこそ受けた側はその行動を引き起こした原動力、動機、理由までも包括した評価を下すべきだと思います。

 

ですが、そんな心の余裕が無いときだってあると思います。

ついカッとなって、なんてのは避けられないことかもしれません。

でも大丈夫。

万能の解決法があります。

落ち着いたあとで自分の小ささを反省し、「さっきはごめんね」と言えばそれで万事解決なのです。