どうも、坂津です。
※昆虫の写真がありますので苦手な方はご注意を。
少し早く起きると、外はもう肌寒いくらいの気温になっている。
朝焼けの空を見上げると、雲はもう秋の様相を呈していた。
「夏は、いつだったんだろう?」
確かに暑い日もあるにはあった。
でも、それは単純に『暑い日』であり、私が思う『夏』ではなかったように感じる。
梅雨が終わったことにも気がつかなかったような今年は、本当に夏が在ったのかと疑問に思う。
親は無くとも子は育つと言う言葉があるが、夏は無くとも秋は来るのだろうか?
頭の上の蜘蛛の巣を払うように、私は頭上で手をひらひらとさせた。
本当に蜘蛛の巣が在ったわけではない。
頭に浮かぶくだらないよしなしごとを払い退けたのだ。
ふと、道路横の用水路に視線を送る。
そいつは、静かにそこに居た。
邂逅。
僥倖。
ヤゴの中からトンボが出てきたところだった。
私が夏だ秋だと些末なことに思いを巡らせている間に、こいつは新たな能力を手に入れたらしい。
水中を這いずるヤゴから、中空を舞い飛ぶトンボへ。
以前『成長とは新たな能力を得ることである』というような趣旨の記事を書いた。
トンボはサナギ形態を経ないので不完全変態ということになるか。
蝶はサナギになるので完全変態というらしい。
変態という言葉が使用される場面の頻度が、もっぱら「変質者」という意味合いに偏っているために違和感は覚えてしまうが。
さて、そればかりではない。
どうやってその中に収まっていたのかと驚くほど、こいつは大きくなっていた。
脱いだ服の方が明らかに小さい。
こいつは、例えばもう一度その服を着ようと思ったら着られるのだろうか?
ついさっきまで着ていたのだから、やっぱり着られるんだろうな。
その小さな服は、きっとすごく伸縮性に優れているんだろう。
私はこの現象を知っている。
女性のパンティだ。
あれは想像以上にくしゅっと小さくなる。
私は一体何の話をしているんだ。
ちなみにこの画像はシュシュという、頭髪を結うための小道具。
ここに本物のパンティを載せたら完全変態だろう。
今回は不完全変態ということにしておこう。