『かなり』

干支に入れてよ猫

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子供を作らないと決めた

どうも、坂津です。

私と妻は話し合い、どちらかが死ぬまでずっと、二人家族で居ようと決めました。

そして、先に逝くのは妻ということも決めました。

私は妻を失った哀しみを愉しみながら暮らします。

そう、話し合いました。

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私が今の会社に就く前、もう10年以上昔の話です。

ドラッグストアに勤めておりました。

以下はその時の話です。

見たところまだ未成年、18歳かそこら、下手したら高校生くらいの男の子が、売場の整理をしていた私に声を掛けてきました。

まだ少年の面影が残る顔立ちに、とても下卑たニヤつきのある表情がミスマッチで、今でもその違和感を記憶しています。

 

男「ちょっとお兄さん、ちょっと良い?ちょっと・・・」

私「はい、いらっしゃいませ。お伺いいたします」

男「あのさ、ちょっと困ってて」

私「お薬のご相談でしょうか?」

男「そうそう。薬局で売ってるって聞いたから」

私「ああ、お探し物ですね。商品名とか、何か特徴がお分かりですか?」

 

当時の私はドラッグス店員を究めようと日々努力しており、医薬品はもちろん、健康食品や化粧品、洗剤などの日用品まで、店内に品ぞろえしているありとあらゆる商品について完璧に記憶していました。

例えば製品の成分名や、CMに出ているタレント名、テーマソングの一部など、ごく小さなヒントから希望の商品に辿り着くことが出来るスペシャルな店員でした。

彼は私の白衣に付けられた名札に視線を送りながら、声を抑えて話しだしました。

 

男「お兄さん、店長さん?」

私「はい。店長をさせていただいております」

男「お兄さん、口かたい?」

私「お客様のプライバシーは絶対に漏れませんのでご安心ください」

 

ドラッグストアの取り扱い商品の中には、いわゆる「コンプレックス商材」と呼ばれるものがあます。

自分がその商品のユーザーであることを誰にも知られたくないという類の商品で、医薬品や健康食品に多かったと思います。

発毛効果、消臭効果、豊胸効果などを謳った商品や、早漏対策の男性用軟膏、不感症対策の女性用軟膏、人によってはかゆみ止めや水虫薬なんかも隠したい部類でした。

そういうお客様はかなり勇気を出して相談を切り出すものですから、それを最大限に尊重してヒアリングしなければなりません。

アレとかコレとか変な比喩とか、直接的な表現を避けるような回りくどい説明から、お客様に最適な商品をオススメするのも、ドラッグス店員の務めなのです。

また自分用ではなく「家族が」「友人が」みたいなお買い求めもよくあるので、その体での接客を貫き通します。

 

男「いや、俺じゃないんだけどね」

私「なるほど」

男「俺の女がさ」

私「彼女さん、ですか」

男「来ないって言うんだよ、生理が」

私「・・・は?」

男「デキたって、言われたの。さっき」

私「そ、それは、おめでとう・・・ございます・・・?」

 

狼狽しました。

相手が言っていることの内容は理解できました。

いつもの「こちらがお探しの商品です」ができないことも。

恐らく、彼が探している商品が何なのか、すぐに察しが付きました。

しかしそれは店員側から先回りして提示する商品でも、購入を勧める商品でもありませんでした。

彼の言葉を待ちます。

 

男「いやいやいやいや、お兄さん、めでたくないよ全然」

私「・・・と、言いますと」

男「だめ。俺この年で親になるとか無理だから」

私「・・・は、はぁ・・・それで?」

男「なんか薬局にあるって聞いたんだよ。おろす薬」

私「そのようなお薬はございません」

 

予想通りでした。

首から上の体温が5℃ほど上がったような怒りと情けなさと哀しさが混じったような、ドロドロした黒いマグマのごとき感情を押し止めながら、そんな商品は無いことを伝えました。

 

男「いやいや、教えてよお兄さん」

私「申し訳ございませんが、妊娠中絶作用がある医薬品など、存在しません」

男「嘘だろ?あるって!だって前の女はそれでおろしたんだぜ?」

私「それは本来の目的ではない薬を間違った使い方で服用しただけです!」

男「その薬のこと聞いてんの!間違ってるとかどうでも良いんだよ!あるんだろ!?」

 

実際、まるで都市伝説的に「中絶できる薬」として語られる医薬品が存在します。

その薬を飲めば自然に流産を誘発できると。

しかしそれは恐ろしい副作用と死の危険さえ伴う、間違った用法です。

薬品に対する正しい知識を得る機会も、詳しく説明してくれる身近な存在も無かった時代に流行った恐ろしい情報が、まさか現在にも受け継がれているなんて。

 

私「当店にはございません」

男「じゃあ他の店に行って聞くから、薬の名前教えろよ」

私「申し訳ございませんが、存じ上げません」

男「お前さっき知ってるって言ったろ!?」

私「いいえ、一言も申し上げておりません」

男「なぁ、本当は知ってんだろ?教えてくれよ」

 

彼の語気が弱まりました。

すがるような目で私を見てきます。

しかし正直なところ私は、逃げ出したい気持ちでいっぱいでした。

私の対応に、掛かっているものが大きすぎるのです。

私がこのままシラを切り通すことで、目の前のこの男が父親になる可能性。

こんな奴が父親になってしまったら生まれてくる子供が不幸だという思い。

私が知る医薬品についての情報を伝えることで、女性に危機が及ぶ可能性。

またもし幸運にも女性に副作用が出なくとも、新しい命を奪うという事実。

 

ここで私は、考えられる中で最も卑怯な方法を取りました。

 

私「本当に、当店にその薬はありません。ただ・・・」

男「何?教えてくれるの?」

私「恐らく、ドラッグストアよりも個人薬局の方が、取扱いされている可能性が高いと思います」

男「マジで!?薬の名前は!?」

私「すみません。分かりません。薬局の方に相談されればすぐ分かると思います」

男「そっか。分かった」

 

判断を別の誰かに託したのです。

商品の名前も正しい用法も、恐ろしい副作用についても、私は彼に教えてあげることができる立場と知識を有していました。

 

それなのに、私はその判断を回避し、どこかの知らない誰かに回したのです。

 

当該の医薬品がドラッグストアなどのチェーン店よりも、個人経営の小さな薬局の方が在庫している可能性が高いのは本当です。

その薬を本来の用途で、それを必要とされている方は大勢いらっしゃいます。

かならず取扱店はあるのです。

 

しかし。

 

私はそれすら、教えるべきではなかったかもしれません。

 

とにかく私は、彼にその薬へ近付くためのヒントだけを与えて追いやりました。

彼が選択する、彼と彼女の間に起きる、その何らかの出来事となるべく関わらないで済む、ずるい方法を選びました。

 

しかし、それでもしばらく、イライラ感というか気持ち悪さというか、胸のつかえのようなものが残り続けました。

 

彼はやはり責任を取って父親になるべきだったんじゃなかろうか

彼が良い父親にならないと決め付けたのは私の勝手な思い込みだ

最後まで知らぬ存ぜぬでシラを切り通すことが最善だったはずだ

あれから彼は個人薬局で目当ての医薬品を購入できたのだろうか

もし購入できていたとして彼女に重篤な副作用は無かったろうか

押し流されてしまった小さな命は私の事も恨んでいるに違いない

 

他人の人生、しかも命に関わるということがこんなにストレスだったとは。

お医者さんはすごいなと、心から思いました。

 

 

 

 

やがて月日が経ち、私はこの日の出来事をすっかり忘れていました。

 

妻と結婚し、それはそれは幸せな日々を手に入れました。

 

そして妻から嬉しい報告がありました。

 

それからしばらく、私は女の子であると勝手に無根拠に決め付けてアレコレ名前を考えました。

響きと字画、なぜこんなにも両立しないのかとヤキモキしました。

 

そして妻から悲しい報告がありました。

 

身体的にも精神的にも大変なのは妻です。

私が支えねば。

私がしっかりせねば。

 

このとき、私はドラッグストア時代の、あのことを思い出していました。

なぜ思い出したのかはまるで分かりません。

脳が沸騰するほどの怒りを、記憶の中の彼に向けていました。

 

「やったー!これで呑めるー!」

「授乳とかしたら2年くらい呑めないんだよ、よく考えたら」

 

妻は努めて明るく気丈に振舞ってくれました。

お陰で私も平静を保つことができました。

 

そして、冷静になればなるほど、彼に対する怒りの感情が変化していくのです。

 

望んでも無事生まれない命もあるというのに、奴だけは許せない

 しかし私は本気で子供を望んでいたのだろうか?

やることはやっておいて親になることを拒む、奴だけは許せない

 しかし私に親になる覚悟が本当にあったろうか?

薬の存在を知って気軽に買い求めに来た態度、奴だけは許せない

 妻から報告を聞いたとき私の本心はどうだった?

 

もしかしたら私は、悲しい知らせを聞いてホッとしたかもしれない。

考えれば考えるほど、自分が親になるということに、責任が持てなくなる。

私はあまりにも、命というものを軽く考えていたのではないだろうか。

あの彼のことをとやかく言う資格など、私には無いのだ。

 

「もしもう一回、同じことがあったら、耐えられないかもしれない」

「だから、もういいかなって・・・」

 

妻に言わせてしまった。

本当は私も同じ気持ちだった。

 

「もう、いいかな」

 

 

こうして私と妻は、生涯二人家族でいることを決めました。

もう少し年をとってから、この決断に後悔をするときがくるでしょう。

でも、それも、いいかな。

 

今はその分、姪っ子と甥っ子にぞっこんです。

可愛がりたい時だけ存分に愛でて、でも責任は無い距離感。

このくらいが、丁度良いと感じています。

 

「非国民め」

「頭で考え過ぎだ」

「意外とどうにかなるよ」

「それは義務の放棄じゃないのか」

「私もそうだったけど、いざ出来れば変わるよ」

「孫の顔を両親に見せないなんて、とんだ親不孝ものだね」

「覚悟も責任も親になる前は無くて当然で、経年と共に養っていくもの」

 

様々な反対意見を私の中の彼岸に置いてみたけれど、そのどれもが此岸の私には響かないのです。

いや、もしかすると私が居る方が彼岸なのかも知れませんが。

 

でも決して後ろ向きという訳ではありません。

今の日本の現状、子育てが厳しい環境であることは周知と思います。

そんな中でも勇気と覚悟と決心とで親になった方々を、私は尊敬します。

だからこそ妹夫婦や義姉夫婦には、可能な限り関わっていきますし、私が出来ることは惜しまず協力していきます。

会社でも、子供にありがちなエトセトラ(参観、運動会、家庭訪問、急な発熱、保育園からの呼び出しなど)には何の気兼ねも無く休暇や途中退勤ができる環境を作っています。

自分自身が子供を持たなくても、他の人の子育てに協力することはできるのです。

 

人間は社会を形成し、社会としてひとつの生命体でもあると、以前のエントリで書いたことがあります。

現在は社会への帰属よりも個の主張の方がウェイトを増しているような時代ですが、それでも私は社会の一員でありたい。

そうでなくては、子供を作らないと決めた時点で私たち夫婦の存在価値は無に等しくなってしまうような気がするからです。

直接的に親に成らずとも、労働し納税し社会に貢献することで、未来を担う誰かの子供たちの役に、ほんの僅かでも役に立てるのではないか。

そう思っています。

 

妻「縁起でもないとか言わないでね」

私「ん?なになに?」

妻「もし、もしもの話ね?」

私「うん」

妻「お姉ちゃん夫婦にもしものことがあったら、姪ちゃん引き取る?」

私「ああ、そうだね。妹夫婦に何かあったら甥くんも引き取ろう」

妻「変な話してごめんね」

私「別に何も変じゃないよ。誰がいつどうなるかなんて分からないし」

妻「あー、良かった」

私「いつか私たちが、子供を作らなかったことを後悔したとするよ?」

妻「そうなる可能性もあるね」

私「そのときは、養子を迎えれば良いんじゃない?」

妻「その手があった!」

私「まぁ、実際にはそんなに簡単なことじゃないかもしれないけどね(笑)」

妻「それはその時に考えよう」

私「ああ、そうしよう」

 

もし本当に養子を、なんてことになったらずっと二人家族で居ると決めたのも反故にすることになりますが、まぁ人の気持ちなんて変わるものですし。

でも、こう考えることによって気持ちが楽になったことは確かです。