どうも、坂津です。
最近になってまた読者登録をしてくださる神様が増えております。
こんな雑記中の雑記ブログを読んでくださる読者様には本当に有り難い気持ちでいっぱいです。
で、ご新規様が増えたと言うことで改めて自己紹介を、とも思ったのですが、それでは以前からご愛顧頂いているお得意様には面白くないと考えました。
そこで今回はわたくし坂津の内面についてプチ暴露させていただこうと思います。
私は、普通の人よりも「自身について語っても良い」部分が少しだけ深いんじゃないかと自己分析しています。
普通ならちょっと話すのを躊躇うような「過去の失敗談」とか「おかしな性癖」とか「偏った趣味」とか、そんなことを語るのに抵抗が少ないです。
この図で言うと、黄色やオレンジの部分くらいまでなら初対面の相手にでもすぐに露出してしまいます。
しかも「他の人間は恐らくそうでない」と理解しながら、です。
初っ端から自分のことをある程度深いところまで曝け出すことで、親密さとか信用度とか、そういうのを上げようという魂胆があります。
まぁ当たり外れはもちろんありますよ。
「コイツ初対面から何てことを語ってくんの?」とキモがられることだってあります。
妻がそのクチです。
私は妻との初対面でいきなり「今付き合ってる人と上手く別れたいんだよ~」とか死ぬほどキモいことをぶっちゃけてドン引きされました。
この話は今でも語り草です。
妻がこの話をする度に私は耳を塞いで「ア~ア~」と鳴きます。
ただ、「よく知り合ってもいないのにここまで話してくれるんだ」という好印象を与える場合も、たまにはあるんです。
どっちにしろ「ある程度の常識の範囲内で、普通じゃない」を演出できる方法だと思っています。
要は、ちょっと印象に残るってやつです。
で、もうひとつ。
最初に暴露しちゃうことで「これ以上は無い」と思わせるんです。
本当は私、上図の赤いトコ「絶対に暴露出来ない」部分がデカいんです。
ただそれは「秘密が多い」という意味ではなく「私の内部でモヤモヤしているものを言葉でうまく説明できない」という意味です。
まぁ裏を返せば、説明できる他の層が薄いってことですかね。
それを悟られないようにする為にも、敢えてオレンジまで晒しているのです。
薄っぺらな人間であることを悟られないようにするために。
この辺は語ったところで誰得って感じですが、こうやって「坂津という人格をWEB上に置いておく」ためにも明記しとこうかなと。
今回は赤とオレンジの境界ぐらい、ギリギリの部分を、どうにか文章でチラッとでも明かしてみることに挑戦し、自己紹介に代えさせて頂こうかと。
私が自分について思う特徴で、最も近い表現は「私には“素顔”がありません」です。
これをご理解頂くためには、ちょっと事前説明が必要ですね。
以下が、私の考え方です。
~・~・~・~・~・~・~・~
「仮面を被る」って表現を見聞きしますよね?
こんな風に言うと被っている面とは別に、素顔が存在するって勘違いしちゃいます。
無ぇんだよ。そんなものは。
素顔の自分、本当の自分、そんな幻想を抱くから人は不幸になるんです。
もし素顔って呼べるものがあるとすれば、それは今首の上にくっついてるそいつ以外には有り得ないですよ。
私たちは仮面を被ってなんかいない。
分かりやすく言えばサイコロでどの面が上を向いてるか程度の違いです。
人によっては6面じゃなくて、コインみたいに表裏2面だけかもしれないし、12面やら36面やら複雑怪奇な多面体ってこともあるでしょうね。
どの面が本当でどの面が嘘なんてのはありません。
全部ひっくるめて自分です。
サイコロに向かって「お前の本来の姿は1の目だ。他の2~6は仮の姿だ」なんて言わないですよね?
それを受け入れるかどうかは、本人次第ですけどね。
で。
分かりやすく説明するために多面体の例を出しましたが、実際はそんなに単純じゃありません。
実際のところは「変化」「変型」してるんです。
「どの面が上を向いてるか」というサイコロみたいに単純じゃあないんです。
粘土みたいって言えば分かります?
寄生獣のパラサイトで分かるかな?
BLACK CATの金色の闇で分かるかな?
魔人探偵脳噛ネウロの怪盗サイで分かるかな?
ちょっと想像してみてください。
【粘土の定型】
無いでしょ?そんなもん。
じゃあ私たちはどうやって定型を保つのか。
どうやって「自分」てやつを確立するのか。
それは生後に作られる「型」によって成されます。
両親家族をはじめとする自分の周囲の環境から寄ってたかってガチガチに固められて「型」は成形されます。
常識、ルール、モラル、願望、欲望、定義、らしさ、レッテル、色んな名前を持つセメントで外側から固められていきます。
でもそれにハマるのは粘土だから、別にそれでも構わないんです。
粘土の変型は自在ですからね。
でも粘土ったって色々あります。
固い粘土は細く尖った「型」の先端までみっちり詰まることは出来ないでしょうし、少ない粘土は大きな「型」を満たすことができません。
粘土は、その「型」と自分の姿を比較しながら、「型」に向かって「これは本当の私じゃない」なんて言うんです。
当たり前だろ。
粘土は粘土。型は型。
~・~・~・~・~・~・~・~
以上が私の考え方です。
きっと普通の方は「素顔の自分」が居て、TPOに合わせて「仮面」を使い分けるという感覚なんじゃないかと思います。
でも私には「仮面を被っている本体としての私自身」がどうしても想像できないんです。
これは子供の頃からの悩みでもありました。
「好きな食べ物は?」
「将来何になりたい?」
「休日どこに行きたい?」
自分に向けられる質問に対して「そんなの時と場合と質問者によって変わる」としか答えられないのに、求められるのは一般化された普遍の模範解答である「型」です。
どうせ何かの「型」の返答しか受け付けないくせに、なんでどの「型」なのか指定してくれないんだよ、と思ってしまいます。
端的に表現するなら、詳細にキャラ設定してくれたらそのように演技するので、あなたの前で演じるべき台本をください、と言いたいのです。
私という粘土はどれだけ叩かれても絞められても切られても、変形するだけですので何ともありません。
攻撃されて大変だと騒ぐのは、戻るべき「元の姿」があるからでしょう?
私は叩かれたら叩かれたように凹みますし、絞められれば絞められたように細ります。
凹みがうぜぇと言われれば盛り上がります。
だから何をされてもへっちゃらです。
ただ、こうやって思ったままを誰に何の気兼ねも無く垂れ流している私は、少なくとも「素」ではあります。
さっきも書きましたが、「坂津という人格をWEB上に作り置きしておく」ということは可能なんじゃないかと思っています。
私は「自分の素顔を形成する」ためにブログを書いているのかもしれません。
さぁ、こんな病的なわたくし坂津ですが、これからもお付き合い頂けますでしょうか?
「えーなにこれキモーイ」と思われた方はきっと正常ですので自信を持ってください。