どうも、坂津です。
先週に引き続き、とても健康的な休日を過ごしました。
ルームランナーで軽めに4kmほど、ルームサイクルでゆっくり30kmほど、普段の運動不足の帳尻をここで合わせるべく汗を流しました。
妻と別々なのが残念ですがゆっくりと温泉に浸かり、さっぱりして帰宅。
さぁ今回も料理だぁー!
前回のハンバーグで読者の皆様の温かく優しいお言葉を頂戴し、これを妻に報告したところまんざらでもない様子でした。
妻「じゃあ、今日は本気でいくか」
私「え、もう本気?それはちょっと先でも良いんじゃないかな」
妻「はぁ~(ため息)。旦那、いつから手を抜ける立場になったんだい?」
私「いえ、決してそのような!」
妻「坂津家家訓ンー!!いつも心は?」
私「スタンバイ!」
妻「全力前進?」
私「良い湯加減!」
妻「出し惜しみなんて?」
私「いたしません!」
妻「出せる力は?」
私「出しきります!」
妻「よし!ではこれより全力で料理&セッティングを開始する!」
私「イエス!マム!」
こうして、ブログを書くために装飾やメニューを小出しにしようとしていた私を一喝した妻の指揮のもと、料理が始まりました。
これが坂津家の本気セッティングです。
来客があるときや結婚記念日などで使う場所です。
カーテンの向こうがトイレなのは内緒です。
普段は出さないボードも用意してみました。
小汚い手書き文字でもそれなりに見えるのはボード用シールのおかげです。
at will(アットウィル) - 通販 - Yahoo!ショッピング
こちらのお店は、プロの飲食店さんが店頭で使うブラックボードやシールを扱っていて、自分の家をカフェ風インテリアにしたいという分不相応な欲望にまみれた私にはとても有り難いショップ様です。
なにしろ本当に町でよく見かける黒板に使われているシールですから、そりゃ本物感が出ますよね。
最初にセッティングを披露してしまったので、もうこれで充分だよという方はここらで引き返して頂いても何ら問題ありません。
一応写真を撮ったので並べるだけ並べます。
今回はピザを作りましたよ。
例によって詳しい分量はありません。
まず薄力粉とペーキングパウダーと砂糖とオリーブオイルを良い感じにボウルに入れます。
とりあえず計量器の上に載せてはいるのですが、御覧の通り適当な量になっています。
おかしいな・・・合計は415gになるはずなのに・・・
そこにぬるま湯を加えます。
ぬるま湯って何でしょうね。何℃のことなんだろう。
ぬるま湯の「ま」って何でしょう。ぬる湯じゃないのかと。
あとは素手でぐちゃぐちゃにします。素手喧嘩(ステゴロ)です。
気分は花山薫です。
コンクリートの塊を握りつぶしている気分で混ぜていきます。
強くなる為の努力は女々しい事だ。
四等分にします。
大きさに違いがあるように見える方は、もう一度よく見なおしてください。
きっちり四等分です。反論は認めません。
妻「なんでこんなに大きさが違うの?」
私「・・・ごめんなさい」
背後のパスタ用バジルソースとビザ用トマトソースが今回の味の決め手になります。
生地を10分ほど休ませる間にチーズを用意します。
今回はマリボーとチェダーとパルミジャーノを混合します。
チーズ削り機でゴシゴシ削ります。
打ち粉の上に生地をバチーン!
粉がブワッ!
妻「その粉、誰が掃除するンだい?」
私はショボーン。
適当な厚みに伸ばした生地にバジルソースを塗りたくります。
ソースが塗れたら輪切りにしたズッキーニを乗せ、さっき削ったチーズを振りかけます。
バジルピザを焼いている間に次のを用意します。
ナンみたいになってしまいました。
丸く伸ばすのって難しいですね。
こちらはトマトソースを塗って、ベーコンとサラミを乗せました。
バジルの方が焼き上がりました。
良い香りすぎてヨダレが滴り落ちます。
でもまだ食べられません。
レタスと生ハムを乗せ、仕上げにパルミジャーノを削りかけたらようやく完成です。
トマトソースの方も焼けました。
「バジルとズッキーニの生ハムサラダピッツァ」と「サラミとベーコンのトマトソースピッツァ」がようやく揃いました。
で、坂津家の本気ゾーンで食べてたのですが、特にお客様もおらず何の記念日でも無いので居心地が悪くなりまして、結局いつものラフな食卓へ移動です(笑)
あ、サラダの作り方を全然紹介してませんでした!
ズッキーニをオリーブオイルで炒めてパプリカとトマトとアボカドと鶏ハムを切ってドレッシングをかけるだけの簡単なお仕事!
小学生でもできますね。
妻「じゃあやってみなよ」
私「いやぁ・・・言葉のアヤってやつで・・・ごめんなさい」
鶏ハムのサラダもそれなりに手間が掛かっているそうです。
それにしても、いくら安くてもやっぱりシャンパンは美味しい!
というわけで、日中に死に物狂いで消費したカロリーを遥かに凌駕する高カロリーご飯で更なる太みに挑戦する私でした。