どうも、坂津です。
私は吉田拓郎さんが好きで、よく聴きよく歌います。
なかでも特に好きなのが「唇をかみしめて」という歌です。
この影響で広島弁が大好きになりました。
方言自体、だいたいどこの地方のものでも愛嬌があって好きなのですが、特に広島弁は優しくて丸っこい感じがして好きなのです。
伝わるかなこの感じ。
たしか中学生くらいのときには漠然と「広島弁が好きだ」と思い始めていました。
それが今もずっと続いています。
仕事上でお客さんや協力会社の方とお話する機会があったとき、その方が広島の方だとテンションが上がります。
しゃべり方やイントネーションで広島県民かどうか判別できるくらいです。
そして我が妹が成し遂げた、“広島県に嫁ぐ”という偉業によってできた縁に感謝しています。
義弟との会話、義弟のご両親との会話が楽しくてたまりません。
ああ、いま私は広島県民としゃべっている。
そう実感するだけで幸せな気持ちになります。
しかし。
しかしである。
「お好み焼きは熱いうちに食べんさい」
「熱いのが美味しいんよ」
「冷めたら美味しゅうないけぇねぇ」
広島弁は大好きなのに、その内容が私を苦しめる!
なんという二律背反!
これは広島弁への愛を試されているのか!?
私はウナギが嫌いだが蒲焼きのタレは大好きだ。
うな重を注文してタレごはんだけ食べて、ウナギは妻に食べてもらう。
これはまるで問題ない。
しかし今回のケースは、広島弁だけを聞き愉しみ、その内容は無視する、というように分けて考えることはできない!
どうすれば良いんだ。
熱いのは嫌というマイナスと、それを提案してくるのが広島弁というプラス。
マイナスとプラスが合わさった時、人はどうすれば良いのか。
マイナスと、プラス。
相殺されて、ゼロ。
そうか、無かったことにすれば良いんだ!
そうだ!
お好み焼きに関する訓告は全て私の耳には届いていない、ということにしよう。
目の前でゆっくりと冷めていくお好み焼きを凝視しながら何の返事もしない私に、さぞかし不信感を持っただろうな広島県民たちよ。
しかしこれも私の広島弁に対する愛ゆえのこと。
聞けぬ。聞けぬのだ。
心で泣いていた私の横で、アツアツのお好み焼きをハフハフしていた妹がボソッと。
「ああ、お兄ちゃんは猫舌なんで、放っといてください」
その一言で広島県民たちは納得したらしい。
「猫舌なら先にゆうときんさいや」
「無理したらいけんよ」
なんだ、言えば良かったのか。
ありがとう妹よ。