どうも、坂津です。
その昔、私がまだ自分自身について若いという自覚すらないほど若かったころ、テレビで放送される有名人の死亡ニュースで、知ってる方のほうが少なかったように思います。
アラフォーになった今では、その報せで私がショックを受けるような方々ばかりが亡くなっているように感じます。
「あの○○さんが!?」という確率が非常に高い。
プリンスさんも、ですね。
年齢を重ねるってこういうことでもあるんだなと、しみじみ思いました。
「最近の若い者はけしからん」的なワードが5000年前のエジプトでも使われていたとかいうデマが実しやかに広まるほど、最近の若者に対する憤りは皆に共通なのでしょう。
これがどのくらいまで遡れるのかは置いといて、まぁ自分の曾祖父母あたりまでなら容易に想像できるとは思います。
「最近の若い者は」は、そう言っている人も数十年前には言われる立場だった、と。
そして今、私たちから憤怒、遺憾、揶揄の対象とされている若者もやがて次の世代に対して、同じくお決まりの一語を投げかけるのでしょう。
さて、このスパイラルは決して回避できないのでしょうか?
まずこの言葉の意味を考えるならば、発言している旧若者は、発言の対象となっている現若者よりも優れている、と解釈するのが自然でしょう。
つまり
旧若者>現若者
ということ。
そして「最近の若者は」という発言は、言葉自体が投げかけられる対象は個であるにも関わらず、ワードの内容は世代に対して言及しているというところです。
それならば当然、それを発した側の人物も自身が属する旧若者世代という、ひとまとめの代表として発言していると受け取るのが筋でしょう。
個と個の場合ならわざわざ「最近の若者は」と言わなくても、「お前は」で済む話。
さて、現若者を教育したのは旧若者世代ですよね。
もしも本当に「最近の若者は」スパイラルが延々と続いていくのなら、人類は世代を替えるごとに劣化していくことになります。
しかし、もちろん誰もそんなことは望んではいないし、教育も進化している(ハズ)。
となれば本来、若者は進化(旧若者が若者であったときよりも)していなければならないと思うのは私だけでしょうか。
そうして進化した若者もいずれ旧若者となって新若者を教育する。
人類が劣化しているという説を受け入れたくないのならば、こうして人類は少しずつ進化していると考えなければつじつまが合わないように思います。
ゼノンのパラドクスのアキレスと亀じゃないので、この仕組みがあれば必ず世代を重ねるごとに人類は優れた若者を作り続けるでしょう。
にも関わらず「最近の若い者は」が絶滅することは無い、という確信もある。
なんででしょうかね。
おそらく原因はふたつ。
まず旧若者側にある、経年という根拠が足場の上から目線。
そして、現若者と自身の差を「進化」と認められない狭量さ。
きっと「ゆとり」だとか言って揶揄されている世代の方が、新しい若者に対しても寛容だったりするんでしょうね。
それが日本という国の進化かどうかは置いといて。