『かなり』

本当に怖いのは『レッテル』それに抗うのも、受け入れるのも、苦難。

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管理職に必要な心得 人を使うとは

どうも、坂津です。

 

人間という生き物には『思考の届く範囲』『目の届く範囲』『声の届く範囲』『手の届く範囲』というものがあります。

 

『思考』というのは、その言葉の通り頭で考えることです。

ここでは気持ちや願望、目標なども『思考』に含めます。

 

『目』というのは、自分が直接見えるということです。

分かりやすく目と表現していますが、耳で聞くことも包括します。

つまり『直接的に情報収集できる範囲』という意味です。

 

『声』というのは、指示や命令が直接行えるという意味です。

会話が出来るというレベルではなく、きちんと意思疎通が出来て、指示した内容とそれに基づく結果がイコールになる範囲のことです。

 

『手』というのは、自分が物理的に行う作業のことです。

例えば早い遅い、出来る出来ないなどの能力的な部分も含めています。

 

で、通常はその範囲の広さは『思考』>『目』>『声』>『手』となります。

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人間一人が単独でできることなどタカが知れていますから、私たちは組織を作り、仕組みに則った分業をすることで、より大きな成果を生み出すように工夫して生きています。

 

しかし1人+1人が2人以上になるかどうかは、集まった人々の能力以上に、それを管理する人間の能力が大きく影響するのです。

 

会社や店舗などで従業員を管理する立場にある人、つまり管理職の人間が忘れてはいけないことがあります。

 

それは『人を使って仕事をする』という意識です。

 

さて、使うという言葉を人に対して適用すると嫌がられる風潮があります。

某有名海洋冒険漫画で、従業員を使うという趣旨を発言した某鮫氏に、某ゴム氏もブチ切れておりました。

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しかし、それはなぜでしょうか?

 

人間に対して無機質な道具的位置付けを連想させるからでしょうか。

意のままに操るような、対象の主体性を軽視する印象を持つからでしょうか。

恐らくはこの両方をブレンドしたようなイメージなのだと思います。

つまり、『使う』という言葉に『相手に人格を認めていない』というような感覚を抱いてしまうのでしょう。

 

ですが、それは大きな誤りです。

 

『使う』という言葉にはきちんと『人に働いてもらう』『役立ってもらう』という意味があります。

ここを無視しなければ、どんな言葉を当てはめたって構わないのです。

逆に『使う』という言葉ではなく『従業員さんに働いて頂いている』なんて仰々しい言葉を常用していたとしても、実体として、相手を軽視して組織だけの都合しか考えないような対応をしている方が問題です。

 

 

さて、前段で述べた『届く範囲』ですが、管理者は、せめて被管理者よりも『思考』『目』『声』が届く範囲が広くなくてはいけません。

 

思考の届く範囲が狭いと、理想が矮小で人間的魅力が少なかったり、トラブルの予測が甘いため事前に防げたはずの諸問題が山積したりします。

目の届く範囲が狭いと、改善点に気付けず問題を抱えたまま物事を進行してしまったり、従業員ごとや部門ごとに業務の多寡が激しかったりします。

声の届く範囲が狭いと、指示命令がきちんと伝わらなかったり、本来目指していたものとは見当違いの結果に帰結してしまったりします。

 

つまり。

 

これらの範囲が狭いということは、従業員に『私のことを考えてくれていない』『私のことを見てくれていない』『私にきちんと指示してくれない』という思いを抱かせてしまうのです。

 

これはイコール、悪い意味での『使われてる感』になります。

自分という人格をまるで尊重されていないような感覚を持ってしまいます。

 

逆に、これらの範囲が広ければ従業員は『私のことを考えてくれている』『私のことを見てくれている』『私にきちんと指示をしてくれる』という風に捉えてくれます。

つまり、良い意味で『使ってくれている感』を持つようになります。

 

従業員を『思考』『目』『声』の範囲でしっかりと包み込めている管理者は、例え『手の届く範囲』が狭くても、上司として認められ、この人のために頑張ろうと思ってもらえます。

言い換えれば、担当業務に於いて自分より優れた能力を持つ部下を『使う』ことができるのです。

 

要するに、いくら自分の担当業務範囲での仕事が優秀だとしても、それ以上に『思考』『目』『声』の範囲が広くなければ管理者たる資質が乏しいということです。

勘違いしないで頂きたいのは「あれ、髪切った?」とか「ちょっと痩せた?」とか、こういう気配りのことを言っているのではありません。

これはこれで有効なエッセンスではありますが、うな重の山椒、カレーの福神漬け、ポテトサラダのプチトマトのような物です。

本質的な重要性はありません。

管理者と非管理者はあくまでも仕事上での関係性を最重視せねばなりません。

ですから、『思考』し、『目』で見て、『声』をかけるべきは、非管理者の『仕事』に対しての内容なのです。

 

現在、部下や後輩、パートさんやアルバイトさんに指示する立場にある方、管理する職に就いている方は、是非ともこのことを考えてみてください。

 

特に、非管理者に対して「使えねーな」と思っている方。

 

お前が使いきれてねーだけだよバーカ!

 

ローギアのままアクセル目一杯踏み込んで「この車めっちゃ遅っせぇ!使えねぇ!」って喚くのは今すぐヤメて教習所行き直せ!

 

キーボードのテンキー叩きながら「数字が打てない!壊れてる!」ってキレてるけどNumLock押したのお前だからな!?

 

「このフライパンすぐ焦げ付くからもう要らない」ってそれ最初に油さえ引いてれば普通に焼けるし、そもそもフライ返しでガリガリやってフッ素樹脂を剥がして傷だらけにしたお前がアホなんじゃあー!

 

 

ふぅ・・・。

この隠喩、伝わるんかね。