『かなり』

干支に入れてよ猫

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5つのパンと2匹の魚

どうも、坂津です。

皆様は『5つのパンと2匹の魚』というお話をご存知でしょうか。

 

私の記憶が確かならば、小学生くらいのときの夏休みのお昼ぐらいに、アニメで放送されたのを観たような気がするのです。

覚えているのは、何だか体に布を巻き付けたおじさんが、パンをちぎって人に渡していくと、なぜかパンがどんどん増えてその場の皆が食べれるだけの量になったよ、みたいな感じです。

ポケットを叩くとビスケットが増えるような感じです。

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んで、年月は流れて私は大学生になりました。

選択した授業の中で聖書を読む機会があり、この話と再開したのです。

「あー、これ何か覚えがあるな。聖書の話だったんかぁ」

くらいの印象でした。

んで私がイメージした脳内風景はこんな感じ。

 

超人気のマジシャンが渋谷で身バレした!

ファンたちは次々とサインをねだり握手を求め写真を撮りと好き勝手なことをします。

警備を兼ねた数人のマネージャー達は対応に追われて大変です。

きっと予想外の群衆の多さに辟易へきえきとしたことでしょう。

そのうちマネージャーの一人が「そろそろこいつら解散させましょうよ。お腹もすいてきたし、みんな勝手にマックとかスタバとか行きますよ」とイエスに言います。

しかしイエスからは驚きの返答が!

「いや、ここでみんなで食べよう。ファンの人たちに食べ物を配ってください」

マネージャー達は騒然とします。

「いやいや、んな金無ぇっすよ」

「何人居ると思ってんすか」

「こんな人数分なんて、店側も在庫してないでしょ」

「だってカロリーメイト5つとタイ焼き2つしかないですよ」

エスは「やれやれだぜ」といった様子でそのカロリーメイトとタイ焼きを受け取り、シルクハットの中に放り込んだ。

持っていたハンカチをハットにかざし、何かボソボソと呪文を唱え、「はいっ」という掛け声とともに勢い良くハンカチを取り去る。

するとカロリーメイトとタイ焼きどころかシルクハットさえも消えているではありませんか!

その消失マジックに魅入っていた人々の手にはいつの間にか、カロリーメイト(それぞれ自分の好きな味のやつ)とタイ焼き(クリームが好きな人にはクリーム)が!

 

それ以上は特に何も考えず、友人たちと「無限に増やせるとしたら何を増やすか」みたいなくだらない会話をしただけでした。

 

んでさらに月日は流れ、つい先日のことです。

okayamaseishin-church.jp

縁あって、岡山聖心教会で催された秋季特別礼拝に参加させて頂きました。

年に何度かこうして、牧師先生の良いお話を聞ける機会が巡ってきます。

 

普段の私は不信心を絵にかいたような『ザ・人の言うことを信じないさん』です。

毎日数え切れないほど受信する迷惑メールの餌食にならぬよう、心の扉に厳重なる施錠と過剰なほどの防護鎖を張り巡らせているのです。

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そんな私が、こういうチャンスでは一転、精神を開放して耳をそばだてるのです。

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だってせっかく有り難いお話が聞けるんだからバリア解除しとかないと勿体無いじゃん。

 

そして今回聞いたお話が、あの『五つのパンと二匹の魚』だったのです。

 

キリスト教の『聖書』の冒頭には、キリストの弟子4人が書いたキリストの言行録が収録されています。

その部分を『福音書ふくいんしょ』と呼び、弟子の名前を冠してそれぞれ『マタイ福音書』『マルコ福音書』『ルカ福音書』『ヨハネ福音書』と呼ばれています。

んで、今回の『五つのパンと二匹の魚』は、全部の福音書に載っている唯一のエピソードです。

それぞれの弟子の視点から書かれているのでそれぞれに違った情報を含んでいますが、大筋は同じ話です。

それだけインパクトのある出来事だったんでしょうね。

で、今回聞いたのはマタイバージョンでした。

 

マタイによる福音書14章13~21節

エスはこれを聞くと、舟に乗ってそこを去り、ひとり人里離れた所に退かれた。

しかし、群衆はそのことを聞き、方々の町から歩いて後を追った。

エスは舟から上がり、大勢の群衆を見て深く憐れみ、その中の病人をいやされた。

夕暮れになったので、弟子たちがイエスのそばに来て言った。

「ここは人里離れた所で、もう時間も経ちました。群衆を解散させてください。そうすれば、自分で村へ食べ物を買いに行くでしょう。」

エスは言われた。

「行かせることはない。あなたがたが彼らに食べる物を与えなさい。」

弟子たちは言った。

「ここにはパン5つと魚2匹しかありません。」

エスは、

「それをここに持って来なさい」

と言い、群衆には草の上に座るようにお命じになった。

そして、5つのパンと2匹の魚を取り、天を仰いで賛美の祈りを唱え、パンを裂いて弟子たちにお渡しになった。

弟子たちはそのパンを群衆に与えた。

すべての人が食べて満腹した。

そして、残ったパンの屑を集めると、12の籠いっぱいになった。

食べた人は、女と子供を別にして、男が5,000人ほどであった。

 

※万一、間違ったこと言ってたらごめんなさい。もし「それは違うやで!」とお気付きの方が居られましたらご指摘頂けると幸いです。

 

今回の機会で、私はこの物語の新しい解釈を得ました。

今までは単純に『キリストが起こした奇跡の中のひとつ』によってパンと魚が増えたのだと思っていたのですが、違う角度からの視点を教えて頂いたのです。

 

話はこうです。

 

エスから「あなたがたが彼らに食べる物を与えなさい」と言われた弟子たちが狼狽し、困窮し、途方に暮れているところへ、一人の少年がやってきました。

少年は「これは少ないですが、私の持っているすべての食べ物です。どうか皆さんで分けてください」と言って、5つのパンと2匹の魚を差し出しました。

弟子たちは心の中で「気持ちは有り難いが、たったこれだけでは」と思ったことでしょう。

しかし、その様子を見ていた周囲の人々が「じゃあ私もこれを」と言って自分が携帯していた食料を差し出し始めました。

 

当時の人々は外出する際、1~2日分のパンや乾物を携行する習慣があったそうです。

ですがそれはあくまでも自分が食べるためのものです。

自分が働いて自分が得たお金で自分が買った、自分のパンなのです。

しかも貧しい人々が大半で、誰も自分とその家族が食べていくのがやっとという状況。

そんな中で、一人の少年が差し出した食料。

そしてその光景に心打たれた人たちが、我も我もと次々に自分が持っている食料を差し出しました。

 

つまりこういうことです。

 

ここでイエスが起こした奇跡は『人知を超えた不思議なパワーでパンを増やした』のではなく『自分の所持品は自分の物という常識を超えて、人々が自分の持てる物を分け合うことができた』ということなのです。

奇跡というものは、私たちが当たり前と思っている常識を超えた所にあるもので、かと言ってそれは非常識、超常的ということではないのです。

 

 

この考え方は、私の曇りに曇った瞳から巨大で分厚いウロコをベロリと剥がしてくれました。

なるほど、そうか。

こういう奇跡になら、自分の心掛けひとつ、考え方ひとつ、気の持ちようひとつで出逢えるかもしれない。

この気付きは今後の私にとって非常に大きなものになった気がします。