『かなり』

干支に入れてよ猫

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君には権利がある しかしそれは攻撃に使うものではない

どうも、坂津です。

攻撃は最大の防御なんて言葉がありますが、どうでしょう。

やっぱり攻撃は攻撃だし、防御は防御だと思いますケドね。

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さて、私たちには様々な権利があります。

基本的人権をはじめとする多くの権利が、法律によって定められています。

もともと権利を保障するという行為は、その権利が損なわれている事実から生まれるものだと思います。

未だかつて、損なわれたことの無い事象、もしくはこの先も損なわれる可能性が無い事象については、そもそも権利が発生しないのではないかと。

 

ある行為や事象について、それが損なわれるべきでないという思想のもと、初めて権利は「認められ付与されるもの」なのではないでしょうか。

 

つまり、マイナス状態が起こり得ることを考慮し、マイナスにならないよう配慮された結果として得られるもの、それが権利なのではないかと。

 

そう考えると、私たちが持つ様々な権利は、マイナスを被ることから私たちを護るための「防具」なのだと考えられるのではないでしょうか。

 

しかし昨今、本来「防具」であり「防御」に使用するはずの権利を「武器」として「攻撃」に利用するケースが増え、諸問題を起こしているように思えてなりません。

 

私たちに与えられた権利は、武器として使用するためのものではないハズなのです。

しかし鎧であり楯である権利が、どこかの誰かの入れ知恵によって営々と切り出され研がれ磨かれ、いつの間にか剣だ矛だと形状を変えられてしまった人たちが大勢いるのです。

彼らは防具を失ったことに気付かず、己が武器を手にした喜びを攻撃性へと転換し、的を探して彷徨うことになるのです。

 

私たち人間は、そりゃぶつかり合うこともあります。

でも双方が鎧と楯を装備しているだけなら、ガッチャンコしても大した怪我はしません。

武器を持っているから大怪我をしてしまうのです。

 

切り出され研がれ磨かれ尖ってしまった武器では、身を護ることは難しいのです。

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ある程度は防ぐこともできるでしょう。

しかし、攻撃を目的とした諸刃の剣は、いずれ自分の身をも危険に晒すことになるのです。

 

もっと危ういのは、防御をまるで無視して攻撃のみに特化したような思想です。

自分の権利を最強の武器だと勘違いし、防御力がほとんど無い状態の自分に気が付いていないのです。

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権利を攻撃に特化した状態の人に共通しているのは、相手の権利がまるで見えていないということです。

だから固い防具によって剣を折られてしまったり、より強固な剣によって返り討ちにされてしまったり、同程度の相手同士で刺しちがえてしまったりするのです。

 

 

本来は権利の強化、つまり防御力の向上は、義務を果たすことによって行われます。

ただし間違えてはいけないのは、自分が義務を果たすことによって、自分の権利が強化されるわけではない、ということです。

権利と義務は相互関係であり、一方が権利を主張しそれが行使されるときには、もう一方にはそれを行使させる義務が発生します。

自分が果たす義務は、誰かの権利を行使するためにしか働きません。

つまり自分の権利を行使するためには、誰かに義務を果たしてもらわねばならないのです。

 

しかし権利を武器化してしまっている人たちは、自分がある程度の義務を果たしたことを笠に着て、まるでそのことによって自分の権利が強大化され、好きなように行使できると勘違いしているケースがあまりにも多いように感じます。

そして自分の武器で勝てる相手を探し、必勝法を調べ上げ、勝てると踏んだ対象に攻撃を仕掛けるのです。

これは攻撃力が向上しているのではありませんが、彼らはまた勘違いをしてしまうのです。

「自分は強い」と。

 

そして結局のところ、完全なる思い違いによって高められた攻撃性と、鋭利なだけで脆弱な武器で戦える相手というのは、同じく防具を捨て武器しか持たない者ということになるのです。

 

もしあなたの手に持っているそれが楯でなく剣だとしたら、早くそれに気付くべきです。

武器しか持たない者同士が戦うことにはまるで意味がありません。

不要な傷が残るだけです。

 

あなたに与えられ、認められている権利は、それを与え、認めてくれている存在によってのみ効果を発揮します。

防具として、あなたを護るためにです。

それを忘れてはいけません。

 

普通はこういう「例え話」をしたときって、もっと分かりやすく具体的な実例に落とし込むべきなんでしょうけどね。

特定の誰かに対して言ってるわけじゃないので、これでも良いかな。