『かなり』

干支に入れてよ猫

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ある意味、母校が廃校になるよりも虚しい気持ちを存分に味わった

どうも、坂津です。

別に何の目的も無く、ただ漠然とネットサーフィンをすることがあります。

つい先刻、ノルタルジーに駆られ母校(大学)のホームページへ飛んでみました。

 

そして、とても寂しい気持ちを味わってしまいました。

 

4年+1年もの間ずっと通っていたサークルが、無くなっていたのです。

 

 

まず私は漫画研究会に所属していました。

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決して漫画の研究などしないというのに、なぜ研究会なのか。

活動用に解放された教室にバラバラと集まり、ただ漫画を読む奴、漫画を描くやつ、昨日観たアニメの感想を話す奴、久しぶりに見る奴、他のサークルでも一緒の奴、課題のレポートを書いてる奴、黒板にチョークで落書きしてる奴、プラモデルを組み立ててる奴。

まさに混沌という言葉がカチリとハマるようなサークルでした。

 

それが、無くなっていました。

 

もう誰も漫画を研究しないのでしょうか。

いや、当時も研究はしていませんでしたが、その看板を掲げることすら、しなくなってしまったということでしょうか。

まぁ元々が上記のように、組織とも言えない個の集まりでしか無かったので、サークルという括りが必要無くなったということなのでしょうか。

 

漫画を描くにしても読むにしても、それは孤独な作業です。

事の前後ならまだしも、進行形である場合はむしろ周囲の騒音は邪魔になります。

集まること自体が、ナンセンスだったのかもしれませんね。

 

 

次に私はTRPGサークルに所属していました。

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TRPGというのは、テーブルトークRPGという遊びです。

ドラゴンクエストと言えばご存知の方も多いとは思いますが、簡単に言えば「ドラクエのような冒険を会話で進行していくゲーム」というものです。

例えば、テレビゲームの場合だと目の前の宝箱に対して「開ける」か「開けない」かの2択になると思います。

しかしTRPGの場合は自由です。

「私はその宝箱を燃やそうと思う」

宣言通りに実行できるかどうかは、進行を司る役目のゲームマスターが判断します。

「ではまず持ち物の中に火をつけられるアイテムがあるかな?」

自分がなりきるキャラクターの情報は、キャラクターシートに記入されています。

「持ち物の中にランプと松明がある」

「では上手く火が付けられるかどうか、六面サイコロ1個を振ってみよう」

仮に宝箱に火を付けることの難易度をゲームマスターが8だと設定する。

「“器用”の能力値とサイコロの数字を足してみて」

キャラクターの器用さが5、サイコロの数字が4だった場合、宝箱は宣言通りに燃やされることになる。

 

こんな感じで、キャラクターごとの能力で個性を演出し、サイコロの結果に従うことで偶然性を演出する。

 

「常習性があり、一度その快楽を味わうと抜け出すのは非常に困難。ダメだと分かっていても興じてしまい、生活のほとんどがソレに支配される」という、まさに麻薬のようなものがTRPGなのです。

 

しかしこんな素敵なサークルも、無くなっていました。

ある程度の人数が集まらないと遊べないはずなのですが、どうしたことでしょうか。

 

 

また私は中国拳法愛好会に所属していました。

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愛読書が「拳児」だった私は八極拳に興味を持ち、入会しました。

ここで私は生まれて初めて師匠に出会いました。

色々な「人生初」を経験しました。

避けたと思った拳が実は頬を切っていたこと、何をされたかまるで分からないまま投げられていたこと、素手で煉瓦が割れるようになったこと、「人ってあんなに飛ぶんだ」というシーンを目撃したこと、万引き犯を捕まえたら復讐に3人でやってきて返り討ちにしたら次は7人でやってきてフルボッコにされたこと、ガチの美少女にフルボッコにされたこと、ガチの美少女にリベンジを挑んだけどフルボッコにされたこと。

 

あまりにも青くなったり(アザで)赤くなったり(血で)するので、周囲の友人が私のことを色色マンと呼んでいたかどうかは不明です。

この愛好会も、無くなっていました。

愛好する人が居なくなってしまったということなのでしょうか。

 

 

さらに私はフィロソフィサークルに所属していました。

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文字通り哲学をたしなむサークルです。

ソクラテスプラトン、カント、ヴィトゲンシュタインハイデガーニーチェサルトルレヴィ=ストロースメルロ=ポンティ

かつての偉大な哲学者たちが遺した論文の解釈についての熱い議論を交わす、机上で行われる理論的口撃の応酬はとても楽しいものでした。

「貴様は神の存在を証明したと言ったが、それは神と言う概念の証明に過ぎない」

「そもそもの前提が間違っているのだよ。まず他者という概念の定義が曖昧すぎる」

イデア界が存在するのならなぜ我々の認識はこうも噛み合わないのか」

「感情ではなく理性で話せ。それが出来ないならお前の哲学は今死んだぞ」

 

このサークルも、無くなっていました。

我々が人間であり、考える葦である以上、決して避けることのできない問答。

解の無いこの気持ちを、哲学無しでどうやって処理しているのか若者よ。

 

 

さて、私が所属していた組織がすべてまるごと無くなっていることについて、寂しさや悲しみより前に「なん・・・だと・・・?」状態に陥りました。

さすがに4つも掛け持ちしてたんだから、どれか1こくらい生き残ってても良くね!?

 

 

月曜:フィロソフィサークル

火曜:TRPGサークル

水曜:漫画研究会

木曜:TRPGサークル

金曜:中国拳法愛好会

土日:麻雀

 

当時の私の一週間がこんな感じですが、もうここからサークルを無くしたら何も無いじゃないですか。

麻雀しかしてないじゃないですか。

 

 

過去、自分が心血を注いでいたものが消えてなくなるというのは複雑な気持ちです。