『かなり』

干支に入れてよ猫

【スポンサーリンク】

テクニックは有効に使ってこそ 無駄撃ちすると逆効果だよ

どうも、坂津です。

↑コレが「大見出し」というやつらしいです。

使用方法は間違っていますが操作方法は合っていたようで良かった良かった。

今まで自分のブログがどこかで紹介されることなどまるで想定していなかったので、いわゆる「見た目」について何も考えていませんでした。

「目次」も付けて「続きを読む」を付けて、ただの文章ではなく「ブログ」としての体裁を整えなければ、という義務感が発生してきました。

 ふぅ、これでだいぶブログっぽくなったでしょうか。

 あ、そうそう、1記事1画像というのも基本らしいですね。

はてなブックマークなんかの記事紹介とかで画像が無いと寂しいですもんね。

というわけで「急きょ思い付きでブログを着飾ったけど薄っぺらすぎて中身が無いのが丸見えだぜベイベー」ということを表現した画像がコチラ。

f:id:sakatsu_kana:20160628100032j:plain

これで我が『かなり』もかなり本格的な様相を呈してきたのではないでしょうか。

 

 

 

 

ちがうんですよ、違うんです。

 

私がやりたいのはこんなコトじゃ無いんです。

 

皆様は「マズローの5段階欲求」というのをご存知でしょうか?

アメリカの心理学者であるアブラハム・マズローが唱えた、人間には段階的な欲求があるという説です。

簡単に言うと、人間の欲求はステップアップ方式なので、いきなり高次元の事柄で欲求を満たすことはできず、より下位の欲求から順に満たしていかねばならない、というものです。

f:id:sakatsu_kana:20160628110331j:plain

一番下に位置する「生理的欲求」は、生物としての基本的、本能的な欲求(喰う、寝る、ヤる)です。
基本的には刹那的で、ごく目の前しか見えていません。
この欲求がある程度満たされない限り、次の段階へは進めません。

 

次の「安全欲求」では、ちょっとだけ未来を考えています。

予想される危機を回避したい、安心で安全な暮らしがしたいという欲求です。

 

次の階層は「社会的欲求(帰属欲求)」です。

これは集団に属したり、仲間が欲しくなったりする欲求です。
これが満たされない時、人は孤独感や社会的不安を感じます。

 

第四階層の「尊厳欲求(承認欲求)」は外的な要因ではなく、内的な「自分の心」を充実させたいという欲求です。

他者から認められたい、尊敬されたい、褒められたい、という欲求です。

 

最後は自己実現欲求」です。

自分の能力で創造的な活動をし、それを後世に遺したいとか、理想の自分というものを追い求めたりする欲求です。
自分自身が自分に満足できることでしか、この欲求は満たされません。

 

 

で、なんでこんな在り来たりの学説を持ち出したかと言うとですね、「自分より下の階層に居る人に対して、自分の階層の価値観は通用しない」ということが言いたかったんですよ。

 

例えば自宅が有って、とりあえず風雨をしのげる人が、家を持っていない人に対して「お前も早く家を持った方がいいぞ」と進言したとしても、その相手が“今日食べるものにも困っている”ような人であれば、その言葉は何の意味も持ちません。

 

「仲間が欲しいよ、友達が欲しいよ」と言っている人に対して、ある程度社会的にも認められて、自分自身に満足するために修行している人が「真に分かり合える相手を探しなさい」と言っても、真意とは別の解釈をされてしまうでしょう。

 

つまり、この欲求段階のことを理解した上で自分がどこに所属し、相手がどこに居るのかを把握しないことには会話が成立しない、ということです。

 

 

今の私は「仲間が欲しいよう」という状態ですので、「こんな風に書かないとブログとして認められない」とか「そんな内容じゃウケないぞ」とか言われても、頭では理解できても心で理解できないのです。

 

「認められるブログが書きたい」と思える段階へ進むことを諦めているわけではありませんが、別に急ぐ理由も無いので、まだしばらくは好きに書いていこうと思います。