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『かなり』

私が感じる「かなり」なことを徒然に。

虎穴に入らずんば虎子を得られないならもう虎子なんて要らないよ

思ったこと

どうも、坂津です。

中級ブロガーを目指す私がこれからせねばならぬこと、それを箇条書きにて道しるべを示してくださるはてなブログ様には感謝しかない。

我がバイブルであるところのブログチャレンジに示された、次に私がせねばならぬことは「5年前のことについて記事を書く」である。

こうして一歩一歩試練を乗り越えることで、歴史に新たな1ページを刻むことができるそうだ。

 

5年前と言えば、誰もがどうしても忘れられない東日本大震災の年です。

軽々しく触れるべき話題ではないというのは承知の上ですが、やっぱりちょっとずつ風化してきているのも事実ではないでしょうか。

「もう5年」と「まだ5年」という相反する感情が両立している方も多いと思います。

 

この震災関連で様々な方が多くの意見、考えを述べていらっしゃいましたが、私が最も印象深いと思ったのはビートたけしさんの言葉です。

本当に、衝撃的な言葉でした。

 

以下抜粋

常々オイラは考えてるんだけど、こういう大変な時に一番大事なのは「想像力」じゃないかって思う。今回の震災の死者は1万人、もしかしたら2万人を超えてしまうかもしれない。テレビや新聞でも、見出しになるのは死者と行方不明者の数ばっかりだ。だけど、この震災を「2万人が死んだ一つの事件」と考えると、被害者のことをまったく理解できないんだよ。

じゃあ、8万人以上が死んだ中国の四川大地震と比べたらマシだったのか、そんな風に数字でしか考えられなくなっちまう。それは死者への冒涜だよ。

人の命は、2万分の1でも8万分の1でもない。そうじゃなくて、そこには「1人が死んだ事件が2万件あった」ってことなんだよ。

 

本当にこの考えが浸透して、多くの人がこの考えを基本に生きていけたら、世の中はもっと暮らしやすくなるんだろうなと思います。

 

我々はどうしても効率を求めてしまうので、多数の人や物に対して共通点を見つけ出し、そのタグで一括りにしてしまう傾向があります。

 

そうでもしなきゃ政治も経済も科学も社会も回らないのは百も承知ですが、しかしその弊害も無視してはいけないと思います。

 

学校の先生は、生徒が30人居る1クラスの担任をしているのではなく、1クラスに所属している30人の担任をしているのだと考えると、生徒との接し方がちょっと変わらないですかね。

商売をやってて客数が何人だったとか、購入者、来場者、訪問者などなど、利便性の名のもとに一括りにしてしまっている個人個人がたくさん居ます。

 

だから今日からみんな「一人一人に目を向けて生活しよう」というのが不可能なことは分かっていますが、せめてそれを意識できないかなと思います。

 

 

私はこのブログを「ユニークアクセスが1,000を超えた」のではなく、「1人閲覧してくださったという事実が1,000回を上回った」と考えることにします。

 

おお、なんだか有り難さが増しました。

 

読者になってくださっている方々も、☆を付けてくださる方々も、ブックマークをしてくださる方々も、一人一人が大切な宝物です。

 

やっぱたけしさんすげーな。

 

汚れちまった私の心を洗い清めてくれたような気持ちです。

 

 

 

さて、清い心で5年前の私のことを思い出そうと努力していますが、これがなかなか難しいですね。

5年前に使っていた携帯でも残っていれば何かヒントがありそうですが、生憎もう起動することができません。

 

と思ってPC内のデータをポチポチしてたら、なんという偶然でしょうか、2011年6月24日に作成されたファイルを発見しました!

今日からちょうど5年前のファイルです。

 

パワーポイントの提案書でした。

 

「萌えキャラを使った地域おこしのご提案」

 

清められた私の心はバキッとへし折られ、顔から出た火にくべられて見事なキャンプファイヤーになりました。

 

黒歴史は発掘すべきではない。

黒歴史は発掘すべきではないのだ。