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『かなり』

私が感じる「かなり」なことを徒然に。

頼んどいたアレどうなった?⇒か、確認します!⇒絶対忘れてたなコイツ

思ったこと

どうも、坂津です。

今日は待ちに待った出張の日なのです。

何が楽しみって、そりゃもう、夜ですよ夜。

妻の居る自宅ではなく、一人で好き放題ができるホテル泊。

とか言うとなんだかイカガワシイ感じですが、私の場合は至って健全ですよ。

風俗に行くわけでもなければホテルの部屋に誰かを呼ぶわけでもない。

なんてったって「手ブラを描く」だけですから。

いや、健全では無い・・・のか?

 

 

 

 

私は回りくどい言い方が好きではありません。

煮え切らない態度で明言を避けながら探り探りで核心を遠巻きにした会話なんて、時間の無駄だと思えて仕方ありません。

 

本音をズバッと言って欲しいのです。

 

「察してほしい」というのは、仮にそれが相手のことを慮ってのことだとしても、自己中のワガママに他なりません。

 

 

と、考えてしまいがちな自分にちょっと反省。

 

 

私のように「察せないからハッキリ言って」と相手に言ってしまうのもまた、ワガママなんですよね。

 

「察してほしい」は伝える努力の放棄、「ハッキリ言って」は受け取る努力の放棄。

 

コミュニケーションは双方向、という言葉は、お互いが言いたい事を言うという意味ではなくて、投げ手と受け手が双方とも歩み寄らないと成立しないよという意味です。

 

 

何でもかんでもズバズバ言や良いってもんじゃない。

TPOに合わせて、せめて言葉づかいは考えろ。

親しき仲にも礼儀ありというかそんなに親しくないことを自覚しろ。

なんて場面、ありますよね。

 

自分の意見が無いのか?

何か考えはあるんだろ?なぜ言わない。

せっかく意志があっても、それをアウトプットしなきゃその場に居ないのと同じだぞ。

なんてことも、ありますよね。

 

 

これらは「このコミュニケーションを成功させる」という意識の欠如が招くことです。

 

 

もちろん何気ない普段の世間話は好きにすればいいですが、特に仕事上のコミュニケーションの場合は、その情報伝達が上手くいくことを最上として臨むべきです。

 

 

あと、察して欲しくないことの方が露骨に相手に伝わるものなので、その辺はちゃんと自覚しておいた方がいいと思います。

 

うまく隠し通せたとか、なんとか乗り切ったとか、安堵してるあなたの前で相手は「あ、理解できてないな」とか「適当に流す気か」とか気付いてます。

 

 

私は、基本的には「察することができる正直者」が最も強いと思っています。