『かなり』

干支に入れてよ猫

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気疲れやストレスの原因の核心に迫るスゴイ発見をした、ような気がした

どうも、坂津です。

真田丸が面白過ぎて、三谷さんマジリスペクト。

さて、前回と、恐らく次回でも石田三成が苦労する忍城(おしじょう)攻めは、きっと「のぼうの城」を観た人にクスッとしてもらう為であろう演出がされていました。

「私なら四日で落とせる⇒全然落とせない」というこのシーンのために山本耕史さんの石田三成キャラ設定が成されているのではと思ってしまうほど、面白い。

それはさておき、真田丸を毎週楽しみに観ていて、まだ映画のぼうの城を観ていないあなた、最高にラッキーです。

先にのぼうの城を観ていて、真田丸での忍城攻めを観ると「クスッ」ですが、逆ならば「へぇ~」「なるほど!」「ぎゃはははは」になること間違いなしです。

さぁTSUTAYAへ急げ!

 

 

 

 

前回、タイトルに「赦して」と書いてしまいました。

私はそう書いておけば赦されると思い、軽い気持ちで書きました。

 

しかし。

 

よくよく考えると世の中の大多数であろう巨乳フリーク隊にとって、先のような私のアンチ巨乳理論は決して赦されるものではないと、深夜に急に目覚めて気付きました。

 

100%の賛成が得られる考え方などあるはずがなく、どんな意見にも必ず反対派が存在するものです。

その方々に、どうやって赦してもらうか考えてみました。

私のようなマイノリティが存在することを、マジョリティに認めてもらうには。

 

こう考えた私はまず「赦す」とはどういうことか悩みました。

 

第一に赦してもらうためには咎められなければなりません。

簡単に言えば、赦す=解く、咎める=縛るという感じです。

縛ってもいないのに解くことはできませんから。

 

しかし赦すと解くが決定的に違う点は、誰かが縛ったものを他の誰かが解くことはできても、誰かが咎めたものを他の誰かが赦すことはできないのです。

 

咎めている人に赦してもらわなくてはならない、これが原則です。

 

では私の微乳フェチを誰が咎めているのか。

 

私はその人に赦しを得なければならないことになります。

 

 

誰だその不埒者は。

 

 

あれ?誰だ?

 

 

本当に、誰なの?

 

 

 

こう考えて、ハタと気が付きました。

 

 

 

私を咎めているのは他の誰でも無い、私自身なのだと。

 

これが人間の厄介なところなのだと。

 

正体不明の刷り込みによって自身の内部に形成されている透明な檻。

目に見えず形容し難いくせに圧倒的な存在感を持って確かに在る壁。

 

そんなものによって作られる私の中の私によって、私は咎められていたのです。

 

自分は全然悪くないと思っている事に対して他人から咎められた場合、その他人からどうにか赦しを得ることができれば心身ともに無罪放免となることができる。

 

しかし、自分自身が自分自身を咎めている場合はそう簡単では無い。

 

例え誰が赦しても自分が赦せないのだからどうしようもない。

 

 

なるほど、この「自分を咎める自分」ほどの強敵はかつて出逢ったことが無い。

 

 

そして恐らくこれは私だけの問題ではなく、全人類に共通の事象なのだということを、この世にはびこる宗教が物語っているではないか。

 

自分で自分を赦すことが難し過ぎて、誰か超常的な存在に代わって赦してもらうことで安らぎたいがための仕組みが宗教であり、神という存在なのだろう。

 

 

ということは、無信仰の私はどうしたら良いのか。

 

今からどこかの神様を信じることなどへそで茶どころか腋でロイヤルミルクティを沸かすようなことだ。

 

 

では、どうして自分を赦すことが難しいのか。

 

 

この原因に辿り着くことができれば、自分に赦される為のヒントがあるのではないかと考えました。

 

 

まず自分の中に「咎めている自分」と「赦されたい自分」の二人が存在していると考えます。

そして、視点が常に「赦されたい自分」であることを認識します。

次に、「咎めている自分」をより具体的に想像します。

 

さて、先にも書きましたが、「咎めている自分」を形成しているのは、今までの人生経験によって刷り込まれた、正体不明の檻です。

 

この「正体不明」という部分が赦されることを困難にしているのではないでしょうか。

 

簡単に言えば、咎められる根拠が不透明なのです。

 

何がいけないのか分からないと、当然ながら赦され方も分からないですよね。

 

まずここで「なーんだ、私を咎めていたのは実態の無い虚像だったのか。実は私は誰にも咎められていなかった。良かった」と思える人はそう思って赦されてください。

 

「そうは言っても咎められている感が消える訳じゃないので、結局私が赦されることは無いんですねもういいよばーか」と思った人は、もう少し先まで読んでください。

 

 

全人類必見の赦されロジック。

 

 

自分の周囲の人みんなを赦してあげてください。

 

 

いや、結局ね、自分を咎めている自分て奴は、知らず知らずに形成されているいびつな型を持っていて、それに当てはまらないものを自分だろうが他人だろうが関係なく咎めてるんですよ、実際。

 

で、自分の中にある赦せんラインをスキップで超えてくる能天気なパリピポを赦していくことで、そのラインはだんだん形状を変えていくんです。

 

 

するとあら不思議。

 

あんなに赦せなかった自分を赦せるようになっているー!

 

ストレイツォは容赦しなくても自身には容赦できるんです。

 

 

つまり、咎めている自分をトランスフォーム、これが必勝法です。

 

 

 

私は巨乳、爆乳を赦します。

 

だから、微乳も赦されるんです。