『かなり』

干支に入れてよ猫

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レッドデータブックに載せたい⇒理性的で論理的に話し合える女性

どうも、坂津です。

え?鋼の錬金術師も実写化すんの!?

しかも相変わらず日本人キャスト。。。

そりゃVFXの技術が日進月歩で今まで表現が難しかった演出が可能になってるワケだから、色々とやってみたい気持ちは分かるけども。

そうだ、逆に考えるんだ。

そんなに日本人キャストで実写化したいのならば、初めから役者を決めて当て書きした漫画をリリースすれば良いんだ!

三谷幸喜さんのように、キャストありきで作品を作る。

もちろん漫画の時は実写化を伏せておいて、ある程度人気が出たら満を持して発表。

これなら誰しもが ハッピーうれピーよろピくねーーー。

オリヴィエ・ミラ・アームストロング少将は天海祐希さんでよろしくお願いします。

 

 

 

 

私と母の会話。

 

母「古米がまだいっぱい残ってて、食べきるのが大変なのよ。美味しくないし」

私「飢饉の援助とか被災地への支援物資とかで送れば?」

母「あんた!何てことを言うの!困ってる人にこそ美味しい新米を食べさせてあげないとダメでしょ!」

私「・・・」

 

母の言葉に、確かにそういう考え方もあるなと思いました。

もしかしたら一般的には母が正しいのかも。

このあと母は激おこぷんぷん丸で取り付く島も無く、私は弁解もせずに「そうだね」とだけ言いました。

 

さて、しかし私には私でちゃんとした考えがあって述べた意見だったワケです。

 

その場で引き下がったのは、感情的になった女性との会話は台風に向かって静まれと叫ぶようなものですので。

 

 

本人には直接言えないので、私はここに自分の意見を書き残しておこうと思います。

 

母の言う、困ってる人にこそ美味しい新米を食べさせ、というのは、その困っている人たちのみにフォーカスした考え方ですね。

しかし考えて欲しいのは、そう言う母は別に飢饉地域への募金や被災地への支援など、何も行っていないことです。

結局のところ困っている人たちに「自分が価値を低く見ている物」を贈ることへの嫌悪感が先に立っているだけでは無いのかと。

もちろん、実際に行動する段になったときには、恐らく母の言うことの方が重用されるのだと思います。

「被災地に美味しい新米が届けられました」なんて、良いニュースじゃないですか。

しかし現実は違う。

目の前に居るのは美味しくない古米の処理に困っている母であり、私が解決したいのは母の困りごとなのです。

そしてその解決策として提案されたのが寄付というアイデアです。

 

しかもその寄付は、食べ物が不足している人の困りごとも解決できます。

 

もし寄付をした場合、母のマイナス面としては新米を買わなくてはいけないことぐらいですが、プラス面として美味しくないと思いながら古米を食べ続けることからの解放と、困っている人たちへ向けて良いことをしたという満足感が得られるわけで、計算するとプラスかなと。

 

また食糧難の人たちからすれば、もちろん美味しい新米が食べられるに越したことはありませんが、例え送られてきたものが古米だとしても元々少ないところに対して食糧が増えるのですから、プラスにはなり得るのではないでしょうか。

 

逆に、現状維持を選んだ場合、母は美味しくないと思いながら古米を食べ続ける日々が延々と続き、また食糧難の人たちの状況も何も変わりません。

 

私の考え方って、別におかしくないと思うんですけどね。

 

 

 

ただし、私の回答が間違っていたことも自覚しています。

 

母は古米を食べることについて、別に真剣に悩んでいたわけでは無いということです。

 

単に愚痴として聞いて欲しかっただけ。

 

「そうだね、美味しくないね、何か良い調理法でも検索してみようかね」

 

とでも答えておけば丸く収まったのです。

 

というか、私の母に限らず、世の女性というものは、自分が発した悩みに対して明確な回答を返されることに激しく拒絶反応を示しますよね。

かと言って曖昧な相槌や、無言なんてのは論外です。

 

適度な同意を示しつつ、持ち上げつつ、同情しつつ、感心しつつ。

 

 

 

 

めんどくせぇぇぇぇぇ

『なおや君と僕』

「1たす1ワニ」

 

そう言いながらなおや君は、左右の腕をワニの口の様にカパカパ動かした。

なおや君のボケは意味が分からなくてつまらない。

 

「ワニはそんなカパカパせんやろ。そんなん酸欠の金魚やんけ」

 

僕のツッコミで教室は大爆笑。

自分で言うのもなんだけど、僕のツッコミはテンポもタイミングも最高だ。

なおや君は僕のおかげで、面白い人というスタンスを維持できている。

なおや君は本当はまったく面白くもないのに、とにかくボケ続ける。

そのパワーだけは、ちょっとだけ感心するけど、ツッコむ僕の身にもなって欲しい。

ベストでジャストなツッコミは気力も体力も使うのだから。

 

「ええか、ボケを生かすも殺すもツッコミ次第や。どんなおもろいボケでもツッコミがあかんかったら誰も笑わへん。逆にボケかどうかわからんような中途半端なボケも、ツッコミ次第で何万人でも笑わせられるんや」

 

お父さんの口癖だ。

僕は小さい頃からツッコミを教えてられて、中学生になった今ではヘタな芸人よりも上手くツッコめる様になっていた。

 

「わかりませんねん灸」

 

授業中に先生が出した問題に、なおや君が答えた。

なおや君は本当につまらない。

 

「せんねん灸とか中学生の使う単語とちゃうで自分。どんだけ肩こりやねん、若いのに」

 

僕のツッコミで先生まで大笑いだ。

なおや君も嬉しそう。

 

「自分なに嬉しそうな顔しとんねん、答えられへんかった癖に!てゆーか先生!怒らな!この子ダメな子ですよ?算数できん子ですよ?」

 

こうなると教室は何を言っても笑ってしまう雰囲気だ。

なおや君は勘違いしてつまらないボケを連発する。

僕は芸術的なツッコミでそれをフォローする。

 

なおや君には僕が必要なんだ。

 

なおや君は僕無しではいられない。

 

ちょっと大げさだけど、なおや君は僕が居ないと生きていけないんじゃないかと思う。

 

ある日、なおや君がマスクをつけて登校してきた。

風邪でもひいたのかな。

でもなおや君のことだから熱が出ようがつまらないボケを言うに違いない。

僕はいつなおや君がくだらないボケをしても確実にツッコめる様に、なるべくなおや君の近くにいるようにした。

ところが昼休みになっても掃除の時間になってもなおや君は一言もしゃべらない。

そのうち僕はなおや君に風邪を伝染されたみたいで、気分が悪くなってきた。

頭痛もする。

あまりにも調子が悪くなってきたので僕は早退することになった。

 

それから3日、僕は家で寝ていた。

 

きっと学校では風邪が治ったなおや君がつまらないボケを連発しているだろう。

でも僕のツッコミ無しじゃ誰も笑わない。

もしかするとなおや君はあまりのつまらなさにいじめに遭っているかもしれない。

ごめんよ、なおや君。

早く治してすぐツッコんであげるからね。


それから1週間が過ぎた。

僕は一向に治らないまま、入院することになった。

お医者さんがバタバタと忙しく駆け回って僕を検査した。

でも原因はわからないみたいだ。

 

ずっとなおや君の心配をしてたけど、僕はようやく僕の心配もし始めた。

 

頭痛と発熱、食欲不振と倦怠感・・・まるで風邪のような症状だけど何をしても治らないし、ウィルスも見つからないんだって。

 

それからまた1週間が過ぎたとき、僕は8キロも痩せてしまった。

 

僕はなおや君のつまらないボケが懐かしくて、ベッドの上でしくしく泣いた。

 

その日の昼くらいに、お医者さんが僕の病室に入ってきた。

難しい顔をしている。

もしかして僕の病気は現代医学では治らない奇病なんだろうか・・・。

 

「君の体を隅々まで検査したんだが・・・」

 

お医者さんが話し始めた。

 

「まだ可能性の話しなんだがね、君のご家族や学校の先生方とも話してみた結果ね・・・どうやら君は、ツッコミ不足によるストレス性の『ツッコまずにはいられない病』なんだ。」

 

「やっぱりそうですか・・・ってなんでやねん」

 

僕は弱々しくも、ベストなタイミングでツッコミを入れた。

そしてお医者さんの次の言葉を待つことなくまくしたてる。

 

「病名ながっ!てゆーかそのまんまやんか!んな病気聞いたことないわー!もぉお医者さん、あんたとはやっとれんわぁーッ!!」

 

僕の手の甲がお医者さんの胸にビシッと当たったとき、今までの頭痛が嘘みたいに無くなった。

熱も下がった。

ダルかった体が軽くなった。


お医者さんが静かに言う。

 

「どうやら、本当だった様だね。これからは適度にツッコまないと、命にかかわるから、気をつけてね」

 

ああ・・・なんということだろう。

 

僕はなおや君が居ないと生きていけない。

靴というテーマで短編の文章を書いてみる

どうも、坂津です。

まさかこんな企画があったとは。

今まで色々な駄文を垂れ流してきましたが、こういう企画へ参加するのは初めてです。

とある方から「自己満足で終わるよりも、ちゃんとしたその道の人からアドバイスなり賛否両論を貰ってみろ」とご指摘をいただきました。

そして出逢ったこの企画の締切が、今日の深夜(笑)

なんとも余裕の無い出会いよ。

 

 

 

~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~

 

 

 

彼が彼女を失ってから、一体どれほどの時間が流れただろう。

 

二人はいつも一緒だったのに。

 

どこに出掛けるのも必ず一緒だった。

 

雨の日も、風の日も、時には彼が先を行き、時には彼女についていく。

 

家に帰れば仲良く隣り合って、寄り添って。

 

それなのに、彼女はもう、居ない。

 

彼はただ一人、どこに出掛けることも無く、動き出そうともしなかった。

 

ただただ、自責の念を募らせるばかり。

 

なぜ自分だけが助かった?

 

なぜ彼女を守れなかった?

 

彼女が汚されてしまったとき、自分は後ろから彼女を見ていただけ・・・。

 

 

 

そのあと彼女は身を引きずるようにして、彼の後を追った。

 

しかし彼女が彼に追いつくことも、二人並んで寄り添うことも、無かった。

 

彼女はしかし、ほんのちょっぴり幸せだった。

 

自分の身に降りかかった不幸は、決して喜ばしいものではない。

 

でも、少なくとも彼がそうなったシーンを目の当たりにするよりも、ずっと良い。

 

彼女は自分が汚されてしまったことを自覚していた。

 

きっと捨てられてしまうことを覚悟していた。

 

彼に合わせる顔が無い。

 

 

 

無情に苛まれ、気力を失った彼の右側には、空虚が存在していた。

 

自らの半身とも呼ぶべきパートナーを失って初めて気付く、不在という存在。

 

それは透明すぎて見えず、濃厚な未練が集積しただけの実質的無、かも知れない。

 

真っ暗な部屋の中で彼は、自分の右側を見つめ続けた。

 

 

 

彼女は困惑していた。

 

なぜ自分はまだ生きているのだろうか、と。

 

いっそ誰かが八つ裂きにでもしてくれないかしら、と。

 

汚れてしまった我が身を嘆くことはもう止めた。

 

彼には別のお似合いの彼女を見つけて幸せになって欲しい、と願った。

 

そんな彼女の覚悟をあざ笑うかのように、無情の雨が彼女を襲った。

 

今まで経験したことの無いような、激しい雨。

 

このまま溺れてしまうのも良いと思うほどの雨。

 

全身がふやけて、やがて水になってしまえば良いと思うほどの雨。

 

やがて彼女は、ざぶんと全身が水に浸かる感覚に襲われ、意識を失った。

 

 

 

彼は久しぶりに太陽の下に出た。

 

まだ彼の右側には無が有り、彼の作る影がより一層孤独の色を深めていた。

 

彼はなぜ自分がここに居るのか、分からなかった。

 

 

 

彼女は目覚めた。

 

強い乾きと全身のこわばりを感じながら。

 

容赦なく照りつける強い日差しにうんざりしながら、もうしばらく眠ろうと思った。

 

その閉じかけた彼女の視界に、ぼんやりと、彼が映る。

 

夢では無い。

 

彼は、そこに居た。

 

 

 

彼の隣にあった無は、トッという音と共に消えた。

 

彼女が、居た。

 

 

 

彼と彼女は再び寄り添い、隣り合った。

 

彼女はもう汚れていない。

 

彼の右側には元通りの綺麗な彼女が居る。

 

二度と離れることはない。

 

そう誓い合う二人は、これからも二人揃って出掛けるのだ。

 

 

彼女が先を行き、また彼の後を追い、代わる代わる交差しながら。

 

 

そして仲良く家に帰り、二人寄り添って眠るのだ。

 

 

他のカップルたちがひしめくように同居する、靴箱の中で。