どうも、坂津です。
夢は古田新太さんと飲むことです。
まぁタイトルの通りです。
いや、別に夢を叶えようと頑張っている人をディスってるわけじゃありません。
それはとても素晴らしいことだし、応援したいと思います。
ただ、私が「夢」という言葉の定義として「非現実的」という前提を含めてしまっているからこんなことを言うんですけどね。
夢を叶えるために努力するということは、もうそれは目標や目的であって、夢ではないと思うんですよ。
何年後かの自分のなりたい姿を設定して、そこから逆算的に段階を踏む目標をひとつずつクリアしていく、それってすごく現実的な思考と行動じゃないかと。
さて、自分のやりたいことをやりたいようにやっている人って、周りに居ませんか?
きっとそんな人でも自分の中ではルールがあって、それに従って生きていて、ちょっとくらいの我慢や自制はあるんだと思います。
でも周囲にそれが伝わらない。
「あいつは自分勝手だ」「自己チュー野郎め」
などと思われてしまいます。
何が足りないんでしょうかね。
周囲の人のカルシウムってことではなくてね。
きっとそういう人は言葉が足らない、説明が足らないんですよ。
しかも自分の中にある考えやアイデアをアウトプットするのが超下手くそ。
だからめんどくさくなって説明を省いてしまう。
もしその身勝手さんが上司だったりした場合、わたしたちはその人に説明を求めてはいけません。
だって出来ないんだから。
そういう能力が無いんだから。
でも別の能力が秀でているから上司なんですよね。
そこは素直に認めなくちゃ。
で、自分の役割はその身勝手さんの欠けている部分を補完することなんだと考える。
こうして親心にも似た精神的優位に立つことで仕事上のストレスを緩和するのも大人のテクニックですね。