『かなり』

干支に入れてよ猫

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脳内で再生されるコスチュームの名前が分からない

どうも、坂津です。

本日5月22日は『ガールスカウトの日』なんだそうです。

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これがガールスカウトじゃないことは理解しています。

でもなぜかガールスカウトと聞くとこんな画が脳内で再生されるのです。

西部劇みたいな感じで、ガンマン風の女性。

ガールスカウトと呼ばないのは承知の上で、じゃあこれを何と呼べばいいのか・・・。

とりあえず思いついた言葉で検索して、似たような画像が出てくるか調べてみました。

 

『ガンウーマン?』

 

ありゃ、これじゃ映画のタイトルのなっちゃうみたいですね。

 

『ガンガール』

 

うお、こんなタイトルのアニメがあるのか。

 

『ガンマン・レディ?』

 

お、これは近いかも。

さすがは永井豪先生。

デビルマンレディーを初めて見たときは「え?デビルウーマンじゃないの?」と思いましたが。

 

とは言えドンピシャって感じでも無いんですよねぇ。

とりあえず『西部劇 女性』で検索するのが最も近いんですが、正式名称は何と呼ぶのか、誰かご存じありませんか?

地平線とか輪郭線って無いのに在るよね

どうも、坂津です。

当然、必然、当たり前、一般的、言うまでも無く、自然。

私たちの周りには『それが普通でしょ』が溢れています。

しかし、本当にそれは普通で当然のことなのでしょうか?

 

朝、顔を合わせたら「おはよう」と挨拶する。

自分の為に何かしてもらったら「ありがとう」と感謝する。

相手に不快な思いをさせてしまったら「ごめんなさい」と謝罪する。

 

これ、世間一般では『当たり前のこと』だと言われてます。

それが『普通』だという教育を、私たちは受けてきたのです。

でも自分自身を振り返り、そして周囲を見渡してみれば一目瞭然ですよね。

これが出来てる人の方が遥かに希少で貴重です。

 

もしかして、これを『当たり前』だと思っているから逆にできない世の中になっちゃってるんじゃないでしょうか。

これが『ごく普通に』できる人にとっては、それはそれで良いんです。

実に素晴らしいことですし、正に尊敬されて然るべきだと思います。

 

でも、出来ない人の気持ちになって考えてみてください。

 

いつも相手から先に挨拶されてしまい、自分は小さく会釈するのが精一杯。

囁きのような小声でボソッと発した挨拶は、きっと相手に聞こえていない。

感謝の気持ちはあるけど、それを言葉にする一歩がなかなか踏み出せない。

悪いとは思っていても、いざ謝罪するとなるとタイミングを逃してしまう。

 

こんな状態の人にとって、相手に言葉を掛けること自体が『とても勇気が必要な』『並大抵の労力でない』『精神力を使いはたしてようやく出来るか出来ないか』の偉業なのです。

 

それなのにそれを、やれ普通だ当然だなんて言われたら、モチベーションが上がるわけ無いですよね。

 

必死の思いでやったことを『ああ、それ普通のことだから』と流されることほどダメージの大きい攻撃はありません。

世間一般がどうとか、あなた自身ががどうとか、そういう相対的な『普通』なんてどうでもいいんです。

まずは精いっぱい頑張って行動したそのこと自体を評価して欲しいのです。

 

初めて立って歩いた赤ちゃんに向かって「人間なんだから二足歩行して当たり前だろ」なんて言いませんよね。

最高最大の喜びをもって賛辞を送り賞賛を浴びせますよね。

それが『同じ社会の一員』という枠組みの中に入った同士になると途端に『当然』『当たり前』『普通』がニョキニョキと頭をもたげてきます。

 

私たちは相互に協力関係を築くことで社会を回しています。

そこには相対的な価値基準と評価が不可欠であることは十分に認識しています。

ですが、どこかに基準のラインを設けるという行為は、必然的に『そのラインに満たない存在』を作り出すことになります。

 

このことに気付かず、見えるけど存在しない地平線のような『普通』という概念を盲信し、その虚構に縛られ続けていくのは、私はゴメンです。

 

不良がちょっと良いことすると評価がグン上がりする例のアレ。

あれはその個人のみに焦点を当てた絶対評価ですよね。

でもそれで良いんですよ。

良いことしたんだから褒めれば良いんです。

 

それに対して「普段からずっと真面目や奴の方が良いに決まってるのに評価されない」みたいな意見もありますよね。

これこそが『普通の落とし穴』なんです。

相対評価しか見ていないから発生する盲点です。

そりゃそうだ。

しごくもっともなご意見です。

ずっと真面目にやってきたのに、それを『普通』で片づけられたら面白くありません。

それも良いことなんだから褒めれば良いんです。

 

他者と比較する相対評価、昨日までの自分と比較する絶対評価、その両輪が在ってこそ人は健全に育つのだと思います。

 

だから、毎朝ちゃんと起きて出勤して仕事してるあなた。

眠いけど頑張って通学して教室で授業を受けてるあなた。

面倒でも掃除して洗濯してご飯作って食器を洗うあなた。

 

それは当たり前でも普通でもなく、あなたの努力の賜物であり、評価に値する行動です。

よくできました!

よく頑張りました!

 

なので私のことも褒めてくださいッ!

最近ようやく『話を聞きながらメモが取れる』ようになったんです!

良かれと思ったんだから良いんだよ

どうも、坂津です。

 

私は『良かれと思って』という言葉が好きではありません。

正確に言えば、この言葉を発さなければならない状況が好きではありません。

 

世の中の大抵のことはほとんど誰かの『良かれと思った結果』だろうし、常日頃から敵意や害意を振り撒く人よりも『良かれと思って』行動する人の方が圧倒的に多いと思っています。

誰しもが『良かれと思って』行動しているのです。

それが当たり前なのです。

なのに、わざわざ『良かれと思って』と発言しなくてはいけないのは、その行動が受け入れられなかった場面でのことでしょう。

もっと言えば受け入れられないだけでなく、『攻撃的な拒絶』と表現してもおかしくないような強い反応のときに『良かれと思って』と切り返すのではないでしょうか。

 

息子の部屋を掃除しようとした母親も

彼氏の中華鍋をゴシゴシ洗った彼女も

ヴィンテージジーンズを洗濯した姉も

飼い犬にチョコレートをあげた従兄も

好きな漫画の結末をしゃべった友人も

 

みんなみんな、元は善意なんですよね。

 

秘密を暴いてやろうだとか、油膜を剥がしてやろうだとか、価値を落としてやろうだとか、中毒にしてやろうだとか、ネタバレしてやろうだとか、そんな意地悪な意図は全く無いのです。

 

行為は好意。

全員が善意。

 

それなのに行為を受けた側がいきなり爆発するもんだから、こちとら狼狽しかできません。

 

「いや、その、良かれと思って・・・ごめん」

 

こんな悲しい話があるでしょうか。

相手を気遣った末の行動が全否定されてしまうなんて。

 

ただもちろん『良かれと思ったという事実』が免罪符になるとは思っていません。

どんなプロセスがあろうと、結果的に相手が不利益を被ったり不快な気持になったという事実は変わりませんので。

ただ、その不利益や不快さを声高に叫ぶ前に「本当にそこまで大袈裟に喚き立てるほどのものなのかい?」と自問して欲しいと思います。

「相手は自分のことを思ってしてくれたんだし」と深呼吸してみてください。

 

それでもまだ怒りや悲しみが収まらないなら『これをしちゃいけない』『こうして欲しい』という意思表示を自分が予めしていたかを思い返してみてください。

 

勝手に部屋に入るなと言っていたのか

この鍋は洗わないものだと説明したか

Gパンの洗濯法を伝えたことがあるか

犬にとってチョコが毒だと教えたのか

まだ最後まで読んで無いと言ったのか

 

もしそうでないのなら、貴方は相手に何を求めて怒り狂うのでしょうか。

超能力者のような思考読取能力で至れり尽くして欲しいと思っているのでしょうか。

 

誰かに向って何かを発信する、行動するというのは非常に難しいことです。

決して低いハードルではありません。

それなのに、現在の世間一般では『受け取り手側』が一方的にその言動の価値を決めるようになっています。

 

ちょっと前に流行した『忖度そんたく』って言葉ですが、あれは一方的なものではなくて、お互いに忖度し合わないと成立しない概念だと思います。

 

ちょっと乱暴に言えば

『てめぇが思いやられねーのは、てめぇが思いやってねぇからだろ』

です。

 

なんてことを、以下の記事を拝読して思いました。

www.catlani.com

確かに思いやりを、思いやりのまま相手に届けるのは非常に難しいことです。

思いやりは何らかの言動に変換されて表現されるしかないので、その変換方法によっては、もとになっている思いやりを感じてもらえないことも多々あります。

 

人の行動、その結果に価値を与えることができるのは、それを受けた側だけです。

それは紛れもない事実であり、行動した側が『これは価値ある行動』と押し付けるのは問題です。

しかし、だからこそ受けた側はその行動を引き起こした原動力、動機、理由までも包括した評価を下すべきだと思います。

 

ですが、そんな心の余裕が無いときだってあると思います。

ついカッとなって、なんてのは避けられないことかもしれません。

でも大丈夫。

万能の解決法があります。

落ち着いたあとで自分の小ささを反省し、「さっきはごめんね」と言えばそれで万事解決なのです。